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2018年10月25日 (木)

文明と歴史、 そして病気(6)―①

小長谷正明(鈴鹿病院名誉院長)さんの「人間と科学」 第293回 : 連載 コピーペー:
 東京駅から皇居に通じる行幸通りの一本南、丸ビルの脇に逆巻く波にもまれて今にも難破しそうな帆船のブロンズ・モニュメントがある。関ヶ原の戦いの半年前に日本に漂着したオランダ船 ”リーフデ号” だ。
 乗船員だったヤン・ヨーステンは徳川家康の外交顧問となり、この辺りに屋敷を与えられた。彼の名から八重洲と呼ばれた地域は現在の丸の内地区にあったのだ。
 1598年6月、リーフデ号を含む5隻の船団は東南アジアとの交易を目指してオランダのロッテルダムを出帆した。ところが多難な航海で、リーフデ号のみが1600/04/19(慶長5年)に現在の大分県臼杵市に漂着した。
 南米の先端から太平洋を横断して来たのだが、110人いた乗組員は24人に減っており、ほとんどが壊血病だった。翌日には3人が、数日中にさらに3人亡くなった。残りの人たちは土地の人々の介抱を受け、新鮮な食事ですぐに回復した。
 その年の9月の関ヶ原の合戦で、彼らは東軍陣中で砲撃をしたという説もある。
 1492年にコロンブスが新大陸を発見し、大航海時代がはじまった。6年後にはバスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回ってインドのゴアに到着したが、壊血病で水夫180人中100人が命を落とした。生気がなくなって頭の働きが鈍り、歯茎が腫れ上がって出血して歯がぐらつき、青白くなった皮膚に出血班斑が出て、ついには死んでしまう病気だ。
 出航後やや経ってから症状が出始め、上陸地で水夫たちが新鮮な食物をむさぼり食べると回復したという。しかし、長期間の無寄港航海や、水兵の脱走や風土病を怖れて上陸制限をする軍艦では、壊血病がしばしば蔓延し、海の天罰と怖れられていた。
 リーフデ号漂着はコロンブスから約100年後だったが、さらに150年経過しても状況は変わっていなかった。
 



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