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2018年10月17日 (水)

社会構造としてのメディア――責任の所在

倉橋耕平(社会学者)さんの論文を載せる。コピー・ペー :
 これまで見てきたように、右派論壇やネット右翼に言論としての「形」と「場」を与え、「ビジネス」にしてきたのはメディア文化にほかならない。とするならば、差別、排外主義、歴史修正主義を含む右派論壇におけるメディア文化の責任の所在をはっきりさせなければならない。キーは、メディアをめぐる商業主義の仕組みである。
 2017年の新書ベストセラーは、ケント・ギルバートの『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書、2017年)という――→「ヘイト本」である(2018年1月の段階で47万部)。
 講談社の別の部署の編集者に直接聞いたところ、社内でも賛否があるという話だった。しかし、続編も出版されているところを鑑ると、否定的意見は少ないのかもしれない。書籍は、一度売れるとその著者や内容が商売のタネとされ、類似書籍が次々に発刊されて物量が増えるというメディアの法則がある。
 右派雑誌の「朝日叩き」が30年も繰り返されていることも同じ法則によってである。TVでも、視聴率がよければ似たような番組が増える。
 結果、新奇性の無い言論が大量生産され、一定期間本屋の書棚を埋めることになる。右派論壇の書き手たちが同じ主張を繰り返し量産するのだから、書棚やランキングが右派論壇一色になっていくのは当然の事。同様に、IT. もそうである。右派論壇を牽引する「シリアスなファン」はお互いを支え合うわけだから、右派系の情報はブログランキングや検索ランキングの上位に上がってきやすくなる。そして自動プログラムで拡散するため、言論に支持者がいるかのように可視化されていく。
 さらには、雑誌の過激な見出しが、新聞広告、電車の中吊り広告となって内容以上にアイキャッチャーとして拡散されていく(早川タダノリ・熊川元一『憎悪の広告』合同出版、2015年)。
 そして重要なことは、売れる「ヘイト本」や雑誌が一定の「権威」を持っていることである。「論壇誌」という理性的な媒体の体をとりながら、真偽の怪しい言論や差別的な思考を紛れ込ませている。そして、論壇誌には、安倍首相など大物政治家なども寄稿する。
 安倍首相はこれまでに『正論』『諸君!』『WiLL』等の右派論壇に最も多く登場した首相経験者である。こうして、登用される著者の有名性も手伝って、それはさらに権威が増す。また、書籍であれば書籍を書けるだけの知性を持った著者ということが前提にされるだろう。
 そして、読者は自らお金を払って購入したという積極的な動機から、書かれたものに信頼を寄せやすい。ここにメディアを支える経済体制や商業主義があることを忘れてはならない。
 さらに、メディアとは単に表現される媒体の事を示すのではない。商品が置かれる空間まで含めてメディア文化として存在している。即ち、書店は社会の「公器」ではないということ。書棚には、バイアスがある。例えば、出版取次の業界誌を振り返ると、1970年代終盤から、街の書店が経営維持のために「必要悪」として雑誌とマンガの売り場面積を増やしていったことが明らかである。
 それを取次業者もバックアップしていった。基本的に、昔ながらの80対20の法則が生きていて、路面店の売上の80%はベストセラーで構成されている。そこにこの出版不況が影響、それで余計に売れる本や雑誌に依存することとなる。
 勿論、この流れに抵抗しようとする店舗はある。しかし、それはひとえに棚を作る書店員の尽力によるもので、この出版不況や流通制度による制約のなか、それができる書店は限定されている。
 現在日本社会において、書店と図書館の間に知的なものを巡るアクセシビリティの違いがある。例えば、日本の書店は欧米よりも人口に対してかなり多い。他方で、図書館は相対的に少なく、ライブラリアンの数も極めて少ないのが特徴だ。
 書店で売れている右派・ヘイト本は大学図書館にはほとんど入っていない。専門知を司る図書館よりも、街の書店に置かれる大衆的な書籍の方が社会的空間を埋め、人々の耳目に触れる機会の多いメディア文化が形成されている。
 そして、商業主義は書き手の収入に直結していく。必ずしも専門家ではないにもかかわらず歴史認識などの問題に言及する「メディア知識人」は、それをビジネスにしている。論壇誌や月刊オピニオン雑誌は学術誌に比べ相対的に原稿料が高い。原稿を書いて、TVに出演し、講演やセミナーなどに出ればそれなりの収入になる。また、IT. でも広告収入で利益を得ることができる。
 さらに、そうした発言者・登壇者の「有名性」に依って権威を上げていく。こうした構造は、言論の内容以前に既に用意されている商品言説の条件なのである。





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