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2018年10月18日 (木)

■「不買運動」からはじめる

倉橋耕平(社会学者)さんの論文を載せる。コピー・ペー :
 売れる言論としての「逆張り」「反動」は無敵論法であるから採用されており、そこに思想はない。とするならば、差別やヘイトスピーチを繰り返す彼らに対して、思想や言論で対抗するだけではなく、別の方法で闘うことも模索しなければならない。換言すれば、彼らの差別やヘイトスピーチに”マジレス”する「もう一歩手前」のことを考えなければならないのではないだろうか。
 それは、彼らの言論空間を成立させている条件を撃つことだ。ゆえに、(課題はあるものの)ヘイトスピーチ規制法ができ、言論以外の形で止めようという動きには重要な意味がある。
 日本では理念法に止まっているが、ドイツでは削除や罰金刑が科される。このような法的枠組みの整備に加え、もう一つ、方策をみなさんと共有したい。
 それは、不買運動である。
 ヘイトスピーチが経済活動と関わっているのだとしたら、その経済活動を止めるための働きかけをしてもいいはずだ。差別的な言論にお金を払わないこと、これが第一歩である。
 また、李信恵が名誉棄損と差別で訴えた IT. 上で差別発言を大量に含むまとめサイト「保守速報」では、一般消費者の呼び掛けによってエプソン(セイコウエプソン株式会社)が広告掲載を降板した。そして、これを契機にすべての広告主が広告を剥がし、訴訟費用と相まって運営が厳しくなった。
 あるいは、2018年5月、5ちゃんねらー(掲示板「5ちゃんねる」(旧2ちゃんねる)の利用者ら)が、「ネトウヨ春のBAN祭り」と題し、違法動画に対する通報機能を用いてYouTubeから差別的な動画やチャンネルを一掃させた。こうした地道な方法も有効である(ただしこの行動自体を参加者の政治的な差別反対活動として理解するのは早計だろう。「ムカつくやつ」を締め出す「論破」志向と同じコインの両面かもしれないからだ)。
 では、これは言論の自由の封殺だろうか。彼らはすぐにそう主張する。しかしそれは違う。言論活動そのものの自由に介入しているのではない。あくまでも、「表現されているもの」に対する「買わない」という抗議行動。― 表現されているものが差別的で賛同できないから、広告は出稿しないという抗議の表明である。
 世界の潮流を見ると、広告主となる企業にとっても、ブランドイメージを損なうという経済合理性の面から、差別とは手を切るという判断がなされている。例、クリスチャン・ディオールのデザイナーだった天才ジョン・ガリアーノでさえ、人種差別発言で一発でクビとなった。日本でも、1995年にホロコースト否定論を掲載した文芸春秋社の『マルコポーロ』が、ユダヤ人団体から批判を受け、ユダヤ系企業から広告の撤退を突きつけられた結果、廃刊となり、以後ホロコースト否定論を一切掲載していない事実がある。
 注目しておきたいのは、今回のエプソンによる「広告剥がし」の申告の文面だ。そこでは、「保守速報」がヘイトスピーチ、「嫌韓・嫌中」の温床となり、裁判に追い込まれ、運営費が広告収入になっているという指摘が、「ヘイトスピーチを許さない社会的責任と御社の製品のブランドイメージを守るためにも、ご検討なにとぞ、よろしくお願い至します」というメッセージと共に記されていた(BuzzFeed News'2018/06/12)。
 この消費者やファンからの「優しい知らせ」がエプソンを動かした。不買運動は、攻撃的な行動でなくてよい。広告主への親切な連絡ひとつで、我々が目にする空間が大きく変わることもあるのだ。





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