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2018年10月14日 (日)

ネット右翼の存立構造

倉橋耕平(社会学者)さんの論文を載せる。 コピーペー:
 雑誌メディアの変遷と特徴の析出だけでは、現在の右派論壇を理解するのに不十分である。小林よしのりが右派論壇の言説をマンガ表現を通じて論壇誌の外に持ち出し、当時の比較的若い読者を獲得していったのは間違いないだろう。
 しかし、それは IT. が始まる前の時代のことである。総務省の「情報通信白書」に依れば、日本の IT. は、2002年前後まで普及率は50%未満だった。
 そして、2005年前後から「ネット右翼(ネトウヨ)という言葉が広く知られ始めた。そのため「インターネットが今日の右傾化を招いた」とよく言われる。本当だろうか。
 筆者(倉橋)が専門とするメディア論は、このような考え方に懐疑的なスタンスを示している。「技術決定論批判」と呼ぶのだが、「ケータイが登場したからコミュニケーションが希薄になった」「ゲームの登場で人びとが暴力的になった」のように社会現象の原因を技術に求めるのではなく、その技術を必要とする人びとの欲望や文化を踏まえて検討する立場をとる。
 では、この見方から考えると、1990年代と2000年代を比べて、 IT. を巡る状況は如何変わったと言えるのか。
 1990年代までの IT. は、アンダーグラウンド、サブカルチャー、カウンターカルチャーの雰囲気があり、規制も既存法の範囲で対応しているという状態だった。しかし、2000年付近に、99年通信傍受法、01年不正アクセス禁止法、02年プロバイダ責任制限法などが制定され、 IT. は法的な管理対象になっていく。
 他方で、利用者は増え続け、常時接続可能になると、巨大掲示板、ブログ、SNS、動画共有サイト等が乱立し、一大ブームとなっていく。技術革新とともに、00年代以降の IT. は、「コミュニケーション・プラットフォーム」としての性格を強くしていくのである。
 筆者(倉橋)はこのコミュニケーション・プラットフォーム化がメディア文化に重要だと思っている。90年代右派・保守言説のあり方と、05年あたりから蔑称として呼ばれている「ネット右翼」の人たちの「知」のあり方には構造的類似性がある。すなわち、2000年代以降の IT, 上には、1990年代に膾炙した「みんなで話し合って出した結論は正しい」という方法論と非常に相性がよい環境が出来上がったということ。
 IT. というプラットフォームを得て、1990年代に作られた参加型文化と集合知の可視化が加速する。その大きなきっかけは、伊藤昌亮が指摘しているように、02年の日韓翻訳掲示板で起きた、日本の2ちゃんねる利用者による歴史認識問題をめぐる論戦の勝利である。
 この時の論法は、ディベート形式による「論破」志向によるものであると言ってよい。90年代右派の歴史修正主義の議論もディベートをよく好んだ。「歴史を論戦で決める/論破した方が正しい」という価値観は、歴史学における検証手続きとはまったく異なるものだが、現代の「論破」志向の文化は1990年代にすでに確立されていたわけである。
 そして、 IT. で「論破」のフォーマットに快感を得て、自ら知識を探究するわけではなくその手法だけを模倣する「フリーライター」が増殖することになる。
 加えて重要なのは、 IT. というメディアもまた商業化していったことである。「情報通信白書」2015年度版によると、1996年に16億円だった IT. 広告費は、2003年にグーグル・アドセンスのような「運用型広告費(注:末端の利用履歴や、検索結果にあわせて個人個人の画面に異なる広告を出す手法)」が注目を浴びると、一気に1000億円を超え、2009年には新聞広告を抜くことになる。
 電通の最新版の「2017年 日本の広告費」では、IT.広告媒体費は1兆2206億円で、広告費全体の23.6%であり、そのうち、「運用型広告費」が約77%という。
 サイト制作者は、ページビュー数に応じて、こうした広告収入を得ているのだ。
 このことはヘイトや差別的言説をまとめたサイトにもビジネスとしての側面をもたらすことになった。





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