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2018年11月24日 (土)

遺体科学の挑戦(1)―①

「人間と科学」 第294回より、遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館教授)さんの論文を記載する。 :
 学生時代を過ごした30年前の大学でも、教授は忙しそうにしていたものだ。昼食を摂る暇がないとか、通勤電車で座席を確保しないと書類づくりが間に合わないとか、かっての教員も昔なりに枯渇した時間の中に追い詰められていたと見る。
 学問する人生を目指すと、いずれはああなってしまうのだと諦めながら、それでも自分には学者しか生きる道は無いものと、若い頃から認識はしてきたものだ。
 だが、どうも近年は教授の時間の奪われ方が異様に幼稚だ。たとえば、である。八百屋さんで見かける玉ネギを入れるネットを3000円で買うとする。納品の時、自筆のサインが2人分必要だ。そして7~8カ月すると、買った玉ネギネットが本当に研究室に存在しているかどうか、会計の事務員が確かめに来る。
 玉ネギネットがなぜ研究室に必要なのかは、この連載のどこかで読者の皆さんを納得させて見せるから安心してほしい。いずれにしても玉ネギネットを買わないと、研究室の研究テーマも私(遠藤)の学問も成り立たない。そのくらい需要な研究道具、資材なのである。
 では、なぜ2人の人間がサインせねばならず、なぜ会計がネットの存在を確かめに来るのかといえば、不正防止の管理だそうである。つまり大学なる組織は、教授が玉ネギネットをネタに私腹を肥やすと本気で疑っているらしいのだ。
 いや、正確にいえば、教授を疑ったという形跡を残すことが、民間企業の経営センスを採り入れた独立行政法人の存在意義にとって、必須のアリバイ作りとしてもてはやされているということだろう。
 そんな2018年の営みの劣化が極まった最高学府は、どう見ても30年前より悪くなっている。まあいい、またしても諦めよう。人間は時代に石を投げるぐらいはできるだろうが、生きる時代を選ぶことはできないのだから。




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