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2018年11月25日 (日)

遺体科学の挑戦(1)―②

続き:
 現実にとりわけ困るのは、純粋基礎科学である。「文化としての学問」と呼んでもよいだろう。その純粋基礎科学を進めることが出来なくなってしまっている。350年ほど前、天文学の発達は、土星の輪の本数を数えていた。動機は単純である。神の作り給うた大宇宙に一筋の原理を求めたかっただけである。
 そんな好奇心の塊たる基礎科学が、市場経済指標GDPごときへの貢献を物差しに無駄という烙印を押されるのが、いまの大学の姿だ。
 管理系は雑事つくりに余念がない。研究室の本がギッチリと詰まっていた書棚を見つけると、危険だから片附けろという。産業医とかいう月給泥棒の類がキャンバスにはびこり、学者の命をかけた生き様に、ルールとコンプライアンスとやら持ち込んでくる。地震が来ると、私(遠藤)が本の下敷きになって死んでしまうから事前に撤去しないといけないらしい。
 世の中はどうであれ、本に埋もれて死ねるなら学者にとってこれほど幸せなことはない。冥利に尽きるとは、このことである。
 いいから産業医よ、学者を放ったらかしにしてくれ。何もしてくれなくていいから、基礎科学を静かに見守っていてくれ。そう叫びたくなる。いや、実際に叫ばなければならないのが今日の大学だ。
 さて、30年前とは大きく違ってしまっているが、それでも遠藤は純粋基礎科学を楽しんでいる。大学人として人々の苦悩や悲哀や憎悪にもお付き合いしたいのだが、とりあえず向き合う相手は、身体の歴史だ。人呼んで「進化」。
 えらく長い時間をかけて歩んできた動物の身体の足跡をたどってみようとするのである。そのために使う道具はいろいろとあるが、普通は刃物とピンセット、いや、本当のことをいえば、自分の指先があれば何とかなる。左様、俗に医学部に連中は解剖学と呼称するが、遠藤があえて遺体科学と呼んでいる世界は、指先だけでも始められる。いずれにしても、立ち向かう相手はいつも「死体」だ。
 死体が無ければこの学問は絵にならない。死体集めの話は次回で語ろう。それに死体をどう研究成果に結びつけるかという命題も次回以降だ。




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