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2018年11月26日 (月)

遺体科学の挑戦(1)―③

続き:
 何より大切なのは、私(遠藤)の学問が進化を五感で感じ取ることを本質としていることだ。「死体は進化の歴史書だ」と考えている。
 考古学、歴史学と似ている。人間が、学問が、時間軸に対して実験で挑むことは得策ではないだろう。実験室に地球をもうひとつ作って、エジプト文明が出来上がってくるのをいつまでも待っている訳にはいかない。
 だから歴史の学は、たとえば遺跡を掘る。出土物を検証し、いにしえの町や建物がどのようなものであり、政治や体制や権力がどう成立していたかを証明してみせる。そして文字を解読し、古文書を読み、経済や社会や文化や民衆を知ろうとする。古刹を訪ね、他地域や他文化と比較し、昔の姿を明らかにする。
 もう一度実験で生み出すことのできない過去に対して、ありとあらゆる角度から時間を克服して、昔を語り尽くそうとするはずである。
 身体の歴史でも、まったく同じことだ。サルを飼っていくら待ったところでホモ・サピエンスもどきが出来上がる訳ではない。要は、古文書を読み解くしか方法はないのだ。進化においては、読みとくべき相手はいま死んだばかりの死体である。
 この「歴史書」は、ざっと5億年の出来事を克明に記録している。ただ問題は、文字が書かれているわけでは無いことだ。私(遠藤)は目を使い、何より指先を使って、この古文書を解読する。
 歴史を解読し証明してみせるのは、解剖する者の指先だ。それこそ遺体科学の最前線なのである。




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