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2019年3月14日 (木)

遺体科学の挑戦(4)―③

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 コツコツと現地の人と交流するなかで分かってきたことは、この奇妙なニワトリが、人々の愛情をしっかりと捕まえているということであった。ベトナム」戦争の戦禍の中でも、このニワトリを大切に抱えて逃げたという老人に出会った。土地の人は、このニワトリを飼い、時々食べていると、幸福になれる、病気にならない、といった伝承を持ち合せている。迷信や信仰というと批判的に聞こえるかもしれないが、現実には大切にしている仕来りといったところだろうか。もちろんドンタオの食材が医療上の機能をもつことは一切ない。要は、ドンタオを育てた気持ちは、この地域の人々が大切にしてきた非科学の価値観に根差すのである。
 ドンタオは、飼育していてもなかなか大きくならない。卵も小さく、産む数は少ない。これでは先進国が改良し世界に席巻しようかという、いわゆるブロイラーや白色レグホンにまったく太刀打ちいかない。だが、それでもこの形で人間は愛するのである。
 遺体科学は動物の形を研究してきた。だがそれは純粋自然科学的切り口だけでは終わらないことに気づく。ヒトと動物の関係、人間社会と命の関係を論じていくことも、遺体科学が死体を見るときの大切な観点なのである。頂いたドンタオの皮を剥き、複雑な輸出入許認可を経て、標本がいま博物館に安置されている。だが国境を越えて遠藤が広めているのは、単に珍品の剥製だけではない。その命に人間たちが込めた精神世界をも、博物館の学術資料は未来に伝えていくのである。




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