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2019年3月12日 (火)

遺体科学の挑戦(4)―①

「人間と科学」 第297回 遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館教授)さんの小論文を載せる。 コピー・ペーする。
 遺体科学のモットーは、死体から整えられる標本の恒久収載だ。それは研究と教育という大切な概念を伴っている。博物館というと、日本では広告代理店・内装業者の展示場という形のマーケットであり、それは来館者から収入を得るという点でばかり評価されるが、本質は全く違う。死んだ命から研究成果を残し、さらなる知の源泉として収載し育てていくことに、博物館のアイデンティティはある。
 一定に研究が進むと、次はその死体から骨格標本を作ることを目指す。冒頭でふれた玉ネギネットは大量の死体を小分けするのに必須の道具だ。現場にはいろいろな動物園から、いろいろな種類の、いろいろな年齢や性別の死体が、どんどん入ってくる。それをネットで小分けして、熱湯で煮たり、土に埋めたり、水で腐らせたり、有機溶媒で洗ったりして、標本を作っていく。一年にして大体数百の骨格標本を生み出すのが、遠藤の研究室の通常のアクティビティである。
 博物館は死体から生み出された標本の情報を、懸命に世の中に広めてきた。博物館のたとえばホームページを繰ると、標本情報のページが出てくる。該当する標本の種名、産地、収取者、収蔵部位、収集年月日といった基礎情報をネット上で検索し、捜し当てることができる。こうした標本情報は70億の全人類に興味のあるものでないかもしれないが、ともあれ世界中の実力ある研究者を誘うだけの、魅力あるコレクション情報を公開することができている。
 情報といえば古典的には図書館が分かりやすい例だろう。どの図書館に読みたい本が有るかという情報は、多くの場合ネット上で検索可能だ。同様に博物館の標本情報も、堅実にコレクション構築を進めてきた博物館であれば、世界中から検索できる状態になっている。死体の情報を公開し、地球の裏からでも見に来る人たちを歓迎するのが博物館の責務である。
 逆にいえば、遠藤も世界津々浦々の博物館で標本を見て研究することができ、その成果を基に教育を進めることもできてきた。こういう場面に受益者負担といった合理主義は元来無い。標本は「全人類共有の知の源泉」だ。無料で誰とでも見せ合うのが博物館の正しい姿だ。




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