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2019年4月17日 (水)

遺体科学の挑戦 (5)―③

続き:

                       

 博物館の標本はただの物体ではなく、大切な情報を伴っている。― 専門的には博物館の標本資料は、データベースの公開によって世界中の人々に利用される可能性を拡大していく。昨今は標本の三次元形状データをダウンロードできる形にすると喜ばれることもある。簡便に動物の模型を作りたい人などは、三次元データがダウンロードできると、それを三次元プリンターにつないで、地球の裏の博物館の収蔵庫からそっくり物体を手元でいとも容易に作り出し、目的を達する時代になっている。

 逆にそこに知財と称して三次元データに金銭価値をつけて売ろうという経営者が現れて、それこそ大学や博物館の財源にしようとすることも画策されるので、博物館はまた騒ぎになる。が、本質的な論点はそんなところには無い。

 いつの時代にも変わらないのは、博物館に収められた学術標本は、全人類共通の宝だということである。標本は、研究が進めばまた新しく多くの情報をもつようになり、次なる研究への動機を生み出す。

 エジプトのピラミッドもカンボジアのアンコールワットも、発見しただけでは厚みは乏しい。エドワード・モースの大森貝塚も、発掘してきた段階では学術的な価値は限られていたはずだ。それを多くの人が研究する道が開けて、標本が新たな知を生んできたのである。

 話は地味かもしれないが、遠藤が集め続ける死体も、まったく同じだ。標本に100年200年と研究の足跡が積み重なって、理論に理論が書き改められて、標本はさらに大切な標本に育っていく。その蓄積を丸ごと公開しながら人類の知を支えるのが博物館である。

 死体を高々と積み上げて次世代に送ってこそ、人間の知は深まっていくのである。そう確信しながら、今日も遠藤は死体と起居を共にする。

 

                       

 

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