« 感染症と人間(2)―① | トップページ | 感染症と人間(2)―③ »

2019年5月30日 (木)

感染症と人間(2)―②

続き:

 

 新聞は「医学新時代の幕開け」という見出しを掲げた。

 第二次世界大戦の勃発とともに、戦場で受けた傷や肺炎の合併症、腹部や尿路、皮膚の感染症で死ぬことも運命づけられていた多くの兵士を救うことは時代の要請ともなっていた。その大量生産は国家プロジェクトとなった。しかし当初、培養液1ml あたりペニシリン量は4単位を越えることはなかった。

 状況を変えたのは、一人の主婦が持ち込んだ、青カビの生えたカンタロープ(メロンの1種)だった。

 この青カビの1ml あたりのペニシリン産生量は250単位にも達した。そのカビの胞子に放射線を照射し、生き残ったカビにさらに紫外線を照射して得たカビからは、1mlあたり50万単位ものペニシリンが産生された。1943年のことである。

 1943年の最初の5か月で4億単位のペニシリンが生産されその年の残りの7か月で、200億単位のペニシリンが生産された。第二次世界大戦下のアメリカはそれによって、歴史上初めて、感染症で亡くなる兵士の数が銃弾で亡くなる兵士の数を下回る国となった。

 ペニシリンの実用化以降、抗菌物質の開発は加速する。1944年には、結核の特効薬となるストレプトマイシンが開発され、1948年にはテトラサイクリンが、1949年には、クロラムフェニコールとネオマイシンが、1952年にはエリスロマイシンが開発された。以降、開発の流れは現在にまで続く。

 人々を恐怖のどん底に陥れた感染症の多くが治療可能となった。数世紀にわたって出産後の第一の死因であった産褥熱は激減した。

« 感染症と人間(2)―① | トップページ | 感染症と人間(2)―③ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事