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2019年8月31日 (土)

自己撞着化する監視社会 ①

朝田佳尚(京都府立大学公共政策学部准教授)さんの小論を述べる。 コピー・ペー: 「世界 6」雑誌より、

 

はじめに

 監視の拡大は確実に進んでいる。私たちはいまやどこにいても監視カメラに撮影されており、ネットの履歴や位置情報は常に捕捉され、誰かの手によって分析されている。もはや監視カメラの設置に違和感を覚える人びとがいた時代など、写真に魂を吸い取られると思う人びとがいた時代と区別がつかないほど、それは遠い過去の話だ。

 だが、こうした事態に対して、私たちは想像以上に無頓着だ。周知の通り、電子マネーやスマホに登録された個人情報を基盤とすれば、膨大な情報にアクセスできる。それらをつなぎ合わせて個人の経歴を把握することや、関連するデータの中に位置づけて行動を予測することは、本当になんでもない一般的な技術となっている。

 そして、法的な規制があるとはいえ、場合によってそれが行政や捜査機関の保持する情報と接続されることも、私たちは半ば知っている。それでも権力の濫用を予防する措置や批判的な検証を求める動きは進まない。急速に進む監視とそれに対する人びとの無頓着ぶりは、あらためて考えれば驚くほど不均衡だ。

 この不均衡はなぜ成り立っているのか。それは現代社会論として興味深い問いだろう。そこで、ここでは、さしあたり、この問いに対する論理的な展望を得るために、これまでの監視を巡る分析が何を語ってきたのか、またそれが含意するものとは何かを再考することにしてみたい。

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