« 「小型モジュール炉」 ⑤ | トップページ | エピジェネティクス ―生命科学の新しい必修科目― (1) ① »

2019年10月28日 (月)

「小型モジュール炉」 ⑥

続き:

 

 しかし、いくら安全な原子炉だと主張されても、工場の中や都市郊外に小型モジュール炉を設置することを、近隣住民は簡単に了承するだろうか。思えば、過酷な事故を起こした福島第一原発の沸騰水型軽水炉も、事故前には安全が強調されていた。夢の原子炉と言われたもんじゅも散々な結果に終わり、廃炉を余儀なくされた。核分裂という極めて大きなエネルギーを扱う原子炉では、実際に運転してみたらどのような振る舞いをするか、いくらシミュレーションしてもしきれるものではなかろう。小型で扱いやすく安全だという主張に対し、簡単に肯定すことはできないのだ。

 さらにいえば、小型モジュール炉でも、核廃棄物は発生するのである。4S 炉のような「カートリッジ式」では、取り出す必要は無いかもしれないが、最終処分地に持っていって超長期間、厳重に保管しなければならない。おいそれと使い捨てにするわけにはいかないのが原子炉なのだ。日本はもちろん多くの国々で、これまでに溜まった(そして今も増えつつある)使用済み核燃料の最終処分地すら決まっていない。

 さらにいえば、小型モジュール炉の発電単価が安いという主張にも、言下にうなずくことはできない。小型モジュール炉の価格低下は、工場でどれだけ量産できるかにかかっている。十分な生産数が確保できなければ小型モジュール炉の価格は下がらず、従ってトータルのコストは下がらないか、かえって上がるかもしれない。それは発電単価にも跳ね返る。

 ニュースケール社の炉では、発電単価を日本円にして7円強/KW 時としているが、それはあくまで目標にすぎない。現状の予測では、従来型大型炉より発電単価は上昇するだろうとみられている。それは、他の電源と比較しても、小型モジュール炉が経済的優位性をもたないことを意味する。

 国際再生可能エネルギー機関の見通しでは、2020年ごろまでにすべてのすべての再生可能エネルギーの発電単価は火力発電の単価を下回るという。出力変動を補うシステム運用技術や高性能バッテリーの開発も進む。2020~2030年代に本当に安全な小型モジュール炉が実現できたとして、既に普及した安い電源に対して競争力を持ち得るだろうか。そのような産業に投資が集まるだろうか。綻びが見え始めている「水素社会」構想と同様の見込み違いに陥らないだろうか。

 通常原子炉の研究開発は、開発職段階の小規模な実験炉、原型炉、実証炉と進み、そののちに実用炉(商用炉)が建設される。このプロセスでいえば、小型モジュール炉の開発フェイズは、開発が進んでいるものでもほとんどが実験炉や原型炉の段階だ。建設にあたっては、福島原発事故後より厳しくなった各国の規制当局による審査もある。想定外の問題も生じるだろう。開発が計画通り進むことは期待できない。実際、これまで小型モジュール炉に関してロシア、アルゼンチン(ともに、建設中)アメリカ(2020年代半ば)カナダ(2020年代)イギリス(2030年)日本(2030年代)が、各方式で製造。これ以外にもコンセプトが提示され開発も手がけられたが、そのいくつかは頓挫・停滞する。現在進行中のプロジェクトも、順調に進んでいるいるとはいいがたい。ロシアやアルゼンチンの小型モジュール炉も、進行は遅れに遅れており、建設費も大幅に上回っていると伝わる。

 ところがいま小型モジュール炉に関して聞こえてくるのは、バラ色の未来ばかりで、コストや開発の困難さ、そこに潜むリスクや核廃棄物の問題は完全に無視されているのだ。まるで、1960~70年代に戻ったかのようである。その挙句の果てに、福島第一原発が過酷事故を起こし放射性物質が広汎にまき散らされ、いまなお、数万人が避難生活を送っているという事実はまるで無かったのようだ。

 経産省はこれまでのエネルギー政策の蹉跌を端的に認め、これ以上傷口を広げないよう、現実性のある政策へと転換すべきではないか。手の届く「ゼロエミッション電源」をこそ、もっと伸ばすべきだ。

« 「小型モジュール炉」 ⑤ | トップページ | エピジェネティクス ―生命科学の新しい必修科目― (1) ① »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事