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2020年3月 3日 (火)

再びアフガニスタンを忘れないために ④

続き:

再び忘れないために

 現在のアフガニスタンでは、全土でターリバーンが影響力を拡大し、他方で政府の内部対立は深刻化している。汚職蔓延も深刻で、1月に国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナルが公表した最新の腐敗認識指数においてアフガニスタンは180カ国中173位に位置付けられた。また、初めで述べた通り治安も悪化の一途を辿っている。

 社会経済面では、2001年の新国家建設開始当初に見込まれた新たな産業創出については、サフラン栽培拡大など一部成功例はあるものの、明るい展望は見えない状況にある。それどころか、収益性の高い麻薬栽培が拡大し、様々な社会問題を引き起こす原因ともなっている。

 日本はアフガニスタンに主体的に関わり続けてきた歴史を有する。その関与の在り方は多様で、各種インフラ整備や農業支援などの分野から、文化的支援まで幅広い。また、現在のアフガニスタン復興に向けた出発点となった第一回アフガニスタン復興支援会議を2002年1月に東京で開催したことから、日本はアフガニスタン復興を成し遂げる責任を有する国であることも忘れてはならない。

 しかし、新国家建設・復興支援に対する楽観的気運と期待は完全に霧消し、現地情勢などへの関心も低下した。そのような中で、様々な困難を抱えつつも現地の人々と対話しながら事業を継続し、目に見える成果をあげつつあった中村哲ドクターの活動は、アフガニスタンとの関わり再考する試金石と言える。

 かっての米ソ冷戦期、アフガニスタンでは、共産主義政権やソ連軍と戦う反政府武装勢力をアメリカなど西側諸国が強力に援助した。しかし、ソ連軍撤退後に人々はアフガニスタンを忘れ、その結果内戦の拡大と軍閥の台頭を招いた。その内戦の最中に、治安と秩序回復のための「世直し運動」としてターリバーンが勃興した。その際も、多くの人々はその背後にあるアフガニスタンの厳しい現実について理解しようとはしなかった。初めに述べたオサーマ・ビン・ラーディンも、もともとは対ソ戦争においてアメリカの支援を受けた当事者であり、その意味では、アメリカやそれに味方した日本も含めた西洋諸国が作り上げた存在であったと言える。

 我々は過去の経験から学び、再びアフガニスタンを忘れることがあってはならない。

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