「人間と科学」第311回 体と心の5億年(1)―三木成夫 ③
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脳・神経それに目や耳の近くに器官が認識するのは、目の前にあるものに対してだ(目は、月や星の光など宇宙も見ることもできるが、基本的には目の前に起こっている光景を見る)。つまり目や耳や脳は、目の前にあるのが”敵”と認知されれば、”逃げろ”という信号を筋肉(と骨)に送り、逃げる。逆に”餌”なら、近づいている捕らえて食べる。ともかく、そういう「近く」の世界で起こっていることを認識するのが「動物的な体」の働きで、三木はそれを近・感覚、あるいは意識といった。
では、植物的な体の「こころ」はどうか。これは、動物的な体が捉える「今の・ここ」の世界にたいし、三木は「かっての・かなた」の世界だと考え、遠い・遠・観得と呼んだ。それは、海辺の生き物に、顕著に見てとることができる。海辺には、月と太陽の重力が作る干潮と満潮があり、昼と夜があり、四季がある。それらはすべて、宇宙のリズムとも呼べる海辺のカレンダーだが、海辺の生き物は、これを5億年(つまり365日×5億回)も繰り返し体験してきた。一本の管である内臓には”それ”が刻み込まれているのだ。三木はそれを「生命記憶」と呼んだ。かっての・かなたを見る、こころの世界だ。
布施(私)は、2019年6月の夜、沖縄の海でダイビングをした。丁度サンゴが産卵をすると思われる、新月の夜だった。その日は、残念ながらサンゴの産卵を目撃できなかったが、別の海辺で、クサフグの産卵というのを見たことがある。やはり6月の、満潮が日没の1時間後になる夜に、クサフグは一斉に産卵をする。その光景は凄まじいもので、砂浜に波が寄せると、大量のクサフグが卵と精子を出し、海水は牛乳のように真っ白になる。
なぜ、その夜が「その時」だと、クサフグは分かるのか?もし1週間後に勘違いして産卵に来たオスメスがいて、無事に受精できても、自然は甘くない。そんな卵はすぐに他の魚に食べられてしまう。海水が白く濁るくらい大量の卵でないと、生き残れないのだ。
こういう、宇宙の天体感じる能力は、ヒトにもあるのか。三木は、それが残されたのが「一本の管」である内臓である、と説いた。だから、人間は星なのだ。そしてうんちとは、この内臓を通ってきた、その鋳型みたいなものだ。大便というが、その大きな便りは、宇宙からの頼りなのだろう。
ヒトは、脳が大きくなって、その意識のほとんどは、その意識が作る世界の中で生きている。しかし他方、生命記憶を宿した内臓(=一本の管)も、また人体の中にある。
三木は、その「こころ」に耳を傾ける大切さを説いたのだ。
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