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2020年5月 1日 (金)

「人間と科学」第311回 体と心の5億年(1)―三木成夫 ②

続き:

 私(布施)は、美術解剖学という研究室の大学院に進学し、三木の指導を直接に受けた。「東大に養老孟司先生という解剖学者がいるが」と三木先生に話すと「養老君か、後輩だ」と紹介状を書いてくださり、知己を得ることができた。その1年後の夏、1987年に三木先生は他界した。いわば、私を養老先生に預けた直後に、この世を去っていった、という形になった。

 あれから30年ほど過ぎ、私は人生の折々に三木先生の言葉を思い出し、反芻し、学生の頃は意味が分からなかった「うんち」の重要性や「人間は星だ」という言葉を自分なりに消化できたかと思い、『人体 5億年の記憶 ―解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)という本を、出版した。

 以下では、その三木成夫の世界について、解説をしてみたいと思う。そもそも、「三木成夫と、、その背後にある人類の知」というようなものになる予定で、第1回はその道筋を示すべく、三木成夫の世界を伝えよう。

 三木成夫の人間観、あるいは解剖学者なので人体観というものを一言でいうと、「体とは、1本の管だ」というものだ。つまり消化器系の話。口から始まって肛門へと至る1本の管。これは生物の進化を見てもそうで、5億年前に登場した無脊椎動物たちの体は、入口と出口がある構造で、されに進化の過程で背骨ができ、手足が付いて、そして大きな脳が付いた。というふうにして出来上がったのが、人間の体。

 この「1本の管」を、三木は「植物的な体」と呼んだ。それに対して、筋肉や骨の運動器管、それをコントロールする脳や神経を「動物的な体」と呼んで対置した。この植物というのは、花や種の植物のことではなく、人体中のある部分を「植物」という言葉で名づけただけで、あくまでヒトの話だ。

 脳・神経は、意識に関する器官。しかし人の心というのはこの脳神経だけが生み出すものなのだろうか?三木はそう考え、植物的な器官が醸し出す、そこはかとない感覚の総体を「こころ」と呼んだ。

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