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2020年6月 3日 (水)

GIGA スクール構想の行方をめぐって ⑥

続き:

◆ 教師たちの戸惑い

 4月からの新学期指導要領でプログラミング教育が小学校に導入される。現場教師の中には戸惑い・反発もある。プログラミングの「プ」の字も知らない教師に指導させるのは確かに無謀だ。専門的指導者・支援者は、GIGAスクール構想の中で物理的な環境整備と同時に取り組むべき課題である。文科省は2022年度までにICT支援員を「4校に1人程度」配置というが、その財源は地方財政措置だから確実なものではない。当面の工夫として、中学校の技術の教師が小学校で指導することも考えていい。

 ICTに対する学校現場の戸惑いや反発は、もともと強まっている負担感や抑圧感の表れだとも言える。前回と今回の学習指導要領の改定により、授業時間数と指導内容が大幅に増えた。「道徳」は「特別の教科」になり記述式評価が求められる。小学校英語も教科化される。そこへもってきて、プログラミングだ、デジタル教科書だ、GIGAスクールだと言われても「お手上げだ。ついて行けない」という思いを抱くのは無理もない。

 まずは、教師たちの負担感・抑圧感を取り除くことが必要。「学び続ける教師像」は大事、だが、それは教師たちを上方の目線で研修漬けにすることではないのだ。自由に学ぶ時間を確保することこそ最重要。ICTは教師も学ぶことが必要。

 EdTechとして喧伝される様々な学習方法については、ICT企業のセールストークに惑わされず、あくまでも教育者座標軸を失わず、冷静に吟味しながら学んで欲しい。

 およそ教育には、人類が過去に積み重ねてきた学問や文化を次の世代に継承するという目的と、未来を生きる子どもたちに自分たちの人生を切り開き自分たちの社会を作っていく力を与えるという目的とがある。教育は過去と未来とのはざまにある。だから学校には「過去の人」も存在していい。「自分はアナログ人間だ。ICTなど不要だ。本とノートと黒板があれば十分だ」という教師もいていい。デジタル世代の若い教師が増えているのは一つの僥倖だ。未来志向の教育は若手に任せ、年長の教師は過去を伝える仕事に専念するという、世代間の役割分担もあっていいではないか。

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