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2020年6月 5日 (金)

「人間と科学」第312回 体と心の5億年(2)—脳科学者アントニオ・R・ダマシオ ②

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では感情とはどういうものかと言うと、この情動を認知している状態を指す。つまり感情とは、身体で起こっている情動を、脳が認識しているもの、と考えていい。

 ところが、感情が生まれるメカニズムは、すべて情動を出発点にしているわけではない。脳の中で、感情が一人歩きして、情動を根拠としない感情というものが生じることもある。ダマシオは、こういう言い方をする。「すべての情動が感情を生むが、すべての感情が情動に由来するわけではない」。つまり、あたかも身体で情動が生じているかのように、脳を「騙して」感情が一人歩きすることもある。ダマシオは情動的感情に対して、このような感情を、「背景的感情」と呼ぶ。

 ともあれ、ダマシオが考える情動と感情とは、そういうものだ。これは何を語っているか? つまり背景的感情は例外にしても、感情や情動、つまり”心”というのは、ある身体の状態を感知することから始まる、という考えだ。『デカルトの誤り』で、ダマシオは、そのような、情動→感情→脳というプロセスが、脳のどこで、どのように生じているか、という脳そのものの構造と機能の説明もする。

 脳そのものの話は、長くなるから省くが、この、情動→感情→脳のプロセスの”脳”を、狭い機能に限定して”理性”と言い換えてみよう。つまり、情動→感情→理性、ということだ。理性は理性として切り離されたものではなく、感情、さらには情動と、相互に密接に結びついている。これがダマシオの考えるソマティック・マーカー仮説である。

 人が理性よって冷静な判断をする時(していると思っている時)、それは脳の中での情報処理だけでなく、その理性が判断や選択する根拠に、感情、さらにはそのベースである感動の力が与っている。人は、頭で考えているだけでなく、情動で(つまり身体で)考えてもいる。情動の協力によって、はじめて良い判断というものができる。

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