デジタル・メディアとアナログ・ジャーナリズム ②
続き:
◉ それでも現場へ <2>
危機時はよりいっそう現場の重みが増す。災厄の際には不可視化される現場が多く、それが社会不安を招いたり、対策の遅れにつながったりするからだ。報道を通して多くの人が「現場」を共有することは、世論形成や政策決定の重要判断材料となるはずだ。もちろん無謀な取材は避けるべきだし組織としての議論と手続きが前提で、困難な局面であればこそ「現場を伝えるために何ができるか」も考え抜くことがメディアの役割だと思う。
今回のコロナ禍でも記者たちは大きなハンディを抱えている。なにより、編集活動の基礎である対面取材がままならない。メールや tel. でやりとりせざるを得ない記者たちの苦労は想像に難くない。権力による規制でなく、取材行為自体に感染リスクがあるから自制せざるを得ないなどということは過ってなかったことだ。
夜回りなど対面取材が困難な現状では、政権中枢がどのような情報を得てどういう経緯で判断を下したかを詳細に取材することは難しいだろう。コロナ禍は歴史に空白をつくったのだと思う。緊急事態宣言に至る裏側で何が話し合われたのか。来るべき時に関係者と対面取材を重ねて舞台裏を検証してほしい。
危機時のジャーナリズムで重要なのは、それでもやはり現場である。災害や疫病などニュースのスケールが大きくなると、どうしても政府や公的機関の発表一色になりがちだ。個別の対面取材が難しいとその依存ではさらに高まるが、出来事の「結果」は霞が関や永田町ではなく、社会の現場だ。コロナ禍で苦しむ可視化されない人てちの声をどれだけ代弁するかは、コロナ報道の最大の焦点だ。
これも大震災の時のことだ。主要紙が自治体発表の死亡者リスト掲載する中、岩手県の地元紙である岩手日報は、県内の各避難所にいる被災者の名簿を紙面に載せた。避難所に貼り出された手書きの収容者名簿に人だかりができているのを見た記者が発案したという。前例やマニュアルに依存せず、災害の現場にいる人たちが何を求めているかを自分の頭で考えた「目からうろこ」の仕事だった。
今回のコロナ禍でもそうだが、災害や疫病ではネット上で様々な流言が飛び交い、社会不安を呼ぶ。「トイレットペーパーが品薄になる」「熱い湯を飲めば感染防止になる」というネット上のうわさを「誤った情報」として新聞やTV.が報じたのはかなり後日だった。感染源をめぐるデマも飛び交った。河原(私)も含めて古い記者はネット上のうわさを軽く見がちだが、電子空間はいまや紛れもなく社会の一部であり、それは「現場」である。
主要メディアは大震災をきっかけにネットに流れる情報を定点観測する体制を整えた。ただ、それは取材の端緒をつかむためで、ガセ情報を否定するところまでは結び付かない。流言飛語の検証はキリがないことも確かだが、災害や疫病の際に人々の不安をかきたてるのは、真偽不明の情報が放置されたままになっているからだ。
沖縄タイムスと琉球新報は2018年9月沖縄県知事選の際、ネットで飛び交う候補者のうわさや情報の真偽を確認して公表するファクトチェックを実施した。不安が広がる危機時にはそうした特設サイトをつくり情報を整理することもデジタル時代のメディアに求められるワークだろう。
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