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2020年7月31日 (金)

デジタル・メディアとアナログ・ジャーナリズム ④

続き:

◉ 風評被害と切所の判断<2>

 後の検証で、当時の福島原発はすでに炉心溶融を起こしており、事態はほぼ朝日が報じた通りであることが分かった。一方で、朝日が判断根拠としていた事実は共同を含め他メディアが知らないことではなかった。しかし、あの時点で朝日ほど明示的に危機を伝えたメディアはない。この違いは何なのか。

 原発が制御不能であり放射性物質が首都圏などに大量飛散する恐れは我々も感じていたが、編集現場では「パニックの発信源にはならない」という空気が支配していた。重大なことを書くには普段にもまして強い裏付けが必要だった。それは詰まるところ政治判断であるが、当時の民主党政権は混乱し判断を留保したままだった。河原(私)はそこにメディアの惰性があったように思う。

 危機の局面ではわからないことが多い。わからないことは書かないのがジャーナリズムの基本だ。しかし、手持ちの材料が多くが明確にある方向を指している。相次ぐ水素爆発、炉心溶融をうかがわせる排出物、急速に上がる放射線量、緊張感を増す東電幹部の言い回し。さらには自国民に避難を勧告する米国大使館の動き。切迫度は急速に上がってはいるが、政府が判断しないから明示的に書けない。これは「お上」に責任を預けた惰性ではなかったか。

 河原(私)の悔恨は、当時そうした状況にありながら編集局内でメディアとしてフェーズを上げる判断をすべきかどうかの議論をしなかったことである。危機時の判断は半日遅れれば防げた被害が防げなくなる。平時の物差しに依存するのは惰性であり、メディアとしての主体性を欠いた責任回避だ。山登りなどの難所のことを切所という。そうしょっちゅうあるわけではないが、危機時のジャーナリズムにも切所、つまり重大な判断を強いられる局面がある。ここは通常のマニュアルを超えて読者に伝えなければならないのではないかという発議と議論。

 それができるかどうかも危機時のジャーナリズムは試されている。

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