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2020年7月23日 (木)

人間と科学 第314回 体と心の5億年(4)―レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画の科学」 ②

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 もう一つの、クイーンズ・ギャラリーのこの展示では、イギリス王室所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの「解剖手稿」などが、惜しむことなく出品されていた。ダ・ヴィンチは生涯にわたって30数体の死体を解剖したと思われるが、その観察の記録を解剖図と文章で残したものだ。ともあれ、レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家であると同時に、宇宙、大地、人体とあらゆる森羅万象を探求した近代科学の先駆者でもあった。

 ダ・ヴィンチの、このようなスタンスというかアプローチは、ルネサンス期のヨーロッパに限らず、もう少し普遍的に見られるものでもある。布施の恩師である解剖学者の養老孟司先生が、森鴎外をめぐるあるエピソードについて話していたことがあるのだが、その話がダ・ヴィンチの「絵画の科学」に似ている。若き芥川龍之介が鴎外の仕事場を訪ねたときのエピソードだが、その頃、森鴎外は歴史小説を書いていて、書くべき事項をカードにして床に置き、それを動かして配置しては小説の構想を練っていたというのだ。それを見た芥川は、直感的に「これは文学ではない」と感じたという。もちろん鴎外の小説は「文学」ではないとしても、優れた何ものか、であることに変わりはない。鴎外は、大学では医学部を卒業し、科学的な思考法が身についていた。その制作現場をみた、「文学」に心酔する芥川は、そこに自分が考える文学とは別のものあると直感した、というわけだ。

 このエピソードを楽しそうに話している養老先生を見ていたら、その姿が森鴎外に重なって見えた。解剖学を論じる養老先生が、科学の側から「それは科学ではない、哲学だ」と言われ、哲学の側からも「それは哲学でない」と言われたことがあるそうだが、そういう、ダ・ヴィンチ→鴎外→養老先生という、系譜というかジャンルが確かに(今も)ある。

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