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2020年7月13日 (月)

ウィルスの目線からの考察 ③

続き:

 自覚的であるべきこと

 一方で、こうした自粛要請や都市封鎖は、移動や旅行の自由といった私権の制限を伴う。それについて、ドイツのメルケル首相は3月18日、国民に向けてTV.で演説をした。少し長くなるが引用したい。

 演説は「親愛なるドイツにお住まいの皆様」という言葉で始まり、「コロナウィルスは現在我が国の生活を劇的に変化させています」と続く。そして次のように言う。

 「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです。…中略…

 連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。…中略…。

 私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であることを実感している私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく決められるべきではなく、一時的にしか許されません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです」

 移動や旅行が個人の自由でなかった旧東ドイツ出身で、そうした権利は天与ものではなく、自ら獲得すべきものだということを誰よりも知っている、そんな彼女がそれでも「自由を制限する必要ある」と、国民に理解を求めた言葉であった。

 私権の制限は、それほど、社会や個人に大きな痛みを与える例外的な措置である。今は、自粛から経済活動再開へと、その道を模索している時期にある。しかし、いつまた、私たちに外出の自粛や都市封鎖が再び求められる時が来るかもしれない。そんな時だからこそ、私権のあり方とその制限に関しては、それを要請する側も、それを受け取る側も、自覚的であってほしい。少なくとも私自身(山本)は自覚的でありたいと思う。

 それは、ポスト・コロナ社会いおいて、感染予防のためには、強い監視的国家がよいのか、市民のエンパワーメントによる民主主義的手法に則った社会がよいのかといった議論にも通じるものとなる。ともすれば、緊急時の強権的私権の制限は、その後の日常にもその影を残し続ける。そのことにも自覚的でなくてはならない。

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