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2020年7月20日 (月)

ウィルスの目線からの考察 ⑨

続き:

■ コロナ後の世界 選択可能な未来へ向けて

 ヨーロッパにおける中世ペストの流行は、教会から国民国家への転換点となった。今回の新型コロナの汎世界的流行(パンデミック)も私たちの社会を変えていく先駆けとなる。問題は、それがどのような社会か。国民国家からそれを超えた国際的な連帯への転換点になるのか。あるいは監視的分断社会の訪れの始まりになるのか。人や物、情報が地球規模で流動化するグローバル化によって今回のパンデミックが特徴づけられるとすれば、世界がこれほど驚愕している姿は示唆的でもある。

 コロナ後の社会が、情報技術(IT)を主体にした社会へと転換するのは間違いない。しかし IT はあくまで道具であって、目的ではない。それをどのように使うかは、私たち一人ひとりが考えるべき問題として残る。

 その時に大切なことは、明日への「希望」だと思う。

 20年以上も前に、アフリカでエイズ対策をしていたことがある。現在のような治療薬はなく、予防が唯一私たちにできる対策だった。村から村へと回り、感染予防の重要性を説く。しかし、それがなかなか上手くいかない。ある日、一人の青年がつぶやく。「10年後は、エイズじゃなくても飢餓とか暴力とか、戦争で亡くなっている。今、エイズ予防をする意味はあるのか?」

 対策がうまくいかなかったのは、彼/彼女らの理解が足りなかったわけでも、私たちの説明が悪かったわけでもなかった。ただ、彼/彼女らが、10年後の自分を想像できなかったからだった。そうした現実の前に私たちは狼狽した。

 社会がどうあるか、どう変わっていくか、どういう希望のもとにあるべきか、というのは、一人ひとりの心の中にしかない。それが合わさって、未来への希望に繋がる言葉を換えて言えば、選択可能な未来は私たちのなかにしかないということかもしれない。

 多くの災厄が詰まっていたパンドラの箱には、最後に「エルピス」と書かれた一欠片が残されていた。古代ギリシア語でエルピスは「期待」とも「希望」とも訳される。パンドラの箱は、多くの災厄を世界にばら撒いたが、最後には希望が残されたとする説と、希望あるいは期待が残されたために人間は絶望もすることもできず、希望と共に永遠に苦痛を抱いて生きていかなくてはならなくなったとする説である。

 パンドラの箱の物語は多分に寓話的であるが、暗示的でもある。しかし解釈がどちらであろうと、希望を未来へとつなげていくのは私たち自身でしかない。

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