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2020年8月 2日 (日)

デジタル・メディアとアナログ・ジャーナリズム ⑥

続き:

◉ 世論を輿論へ <2>

 1992年の夏、当時の宮澤喜一首相が公的資金投入の可能性を示唆した。不良債権問題による不安心理は通常の景気後退とは違い、経済の基盤に長く大きな打撃を与えるという洞察に基づいた提案である。

 金融機関に税金を投入して株価や地価を回復させることが先決で、銀行経営者の責任は別途問えばよいというのが首相の思いだった。しかし世論を意識する経済界や与党自民党はまともな討議すらせず反対、首相の冷めた大局観は即座に葬られた。

 日本経済はその後「失われた20年」の奈落に沈むことになる。後に主要国はこのときの日本の過ちを他山の石として学習し、公的資金投入は金融危機時の基本政策となった。

 この時、世論に同調しその勢いを増幅させたのは、当時経済記者であった河原(私)を含めたメディアだった。儲けに走った銀行をなぜ税金で救済するのかという世論の声は単純であったが、単純であるがゆえに勢いと説得力を持ち、そこから派生するさまざまな問題を死角に追いやった。

 民主主義は受益を配分するときはいいが、負担を分かち合う時には機能しにくい。少子高齢化が進む日本では今後負担の配分が政策の中心になるだけに、世論との向き合い方はますます難しい課題になってくる。

 京大の佐藤卓己教授(メディア論)によると、明治時代には「輿論は天下の公論」とされる一方、「世論は外道の言論」として明確に使い分けられていたという。輿論は「正確な知識・情報をもとに議論と吟味を経て練り上げられた意見」であるのに対し、世論は「空気」であり、「どちらかというと情緒的な感覚」という仕分けである。

 輿論だけで決まる世の中は、あそびがなくて窮屈だが、感情や気分ばかりが横溢する世の中はもっと怖い。

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