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2020年8月 4日 (火)

デジタル・メディアとアナログ・ジャーナリズム ⑧

続き:

◉ クリック数の魔力

 デジタル空間に表れる意見やクリック数は世論そのものではない。しかし世論以上の影響力を持つことがある。

 どの新聞社でも午後の遅い時間に編集会議が開かれ、その日に起きている出来事を見ながら翌日の朝刊紙面について議論する。焦点は一面トップに何を置くか。極めつけのニュースがあれば別だが、平時には各部からの発議が頼りだ。後半国会の政局を推薦する政治部。野菜価格の急騰に目を着ける経済部、それが甲乙つけがたい場合は如何するのか。そんな時、議論を一発で終わらせる殺し文句がある。「読者の関心」―フレーズだ。「野菜の値上がりは家計を直撃する。そして関心も高い」。この言葉で議論は大概収束する。

 新聞は庶民の暮らしをベースにした媒体。だからこの帰結にまず異論は出ない。だが、これがネット空間を主戦場にしてデジタルニュースだと如何か。

 紙の新聞の場合、「読者の関心」は実際にどれだけ読まれるかではなく、そのニュースが一般読者の暮らしに関係が深いということを意味しているにすぎない。一方でデジタルの世界ではその記事をクリックした数で閲覧数の多寡がはっきるわかる。そしてそのデータの集積は、デジタルニュース媒体の購読者数を左右すると同時に広告主の動向にも大きく影響する。編集現場がマーケットと直結する。新聞が完全にデジタル空間にシフトした場合の編集会議では、おそらく過去の類似記事のデータを視野に入れながらトップニュースを選ぶことになるのだろう。

 新聞という媒体は元来、「売れることに弱い」。他の商品だって同じだろうが、新聞という媒体という媒体が難しいのは読者にの求めるままに編集すればいいというものではない。

 日露戦争前、戦争反対を掲げていた万朝報は10万部から8万部まで部数を落した。当時の人々が日本の安全保障のためにロシアの南下を防ぐという政府の「大義」に呼応し、戦争を支持する新聞を講読したためだ。耐えきれなくなった万朝報は開戦後に戦争支持に鞍替えし、25万部まで伸ばした。その構図は日中戦争、太平洋戦争でも同じだった。新聞は、国家の弾圧に屈したというより、「売れることに」に負けて自滅した。

 デジタル空間では購読者の嗜好が数値によって明確に示される。ヤフーニュースの編集では必ずしもクリック数の過去データでニュースの選択をしているわけではなく、取り上げるトピックのバランスには配慮している。しかし、一つひとつの記事の閲覧数を気にせずに紙面を組めた紙媒体の新聞と比べれば、電子空間での編集方針に占める「読者の関心」の影響力は明らかに高いはず。

 ネットニュースにはキュレーターと呼ばれるスタッフがいる。新聞用に書かれた記事をネット仕様に編集しなおす仕事で、紙媒体の新聞でいう整理マンだ。新聞の整理マンがニュースの本質を見出してどう表現するかに頭を悩ませるのに対し、キュレーターの腕の見せ所は思わずクリックしたくなる見出しを付けることとされる。最近のネットニュースの見出しは数年前に比べると自制が利いているように思うが、それでもあえて主語を省いたり、謎掛けのような細工も目につく。つまり編集の最前線迄クリック数を意識するカルチャーが潜在しているのが電子空間なのだ。

 主要紙が紙媒体からデジタル空間での新聞編集にシフトして売り上げを競う時代に入った時、編集現場は果たして「クリック数の魔力」に耐えられるのか。世論を刺激する国家間の紛争や貿易戦争の際に冷静な編集ができるのか。読み手の嗜好が直接届く電子空間の編集では、戦前の新聞以上に世論の風圧と売り上げ増の誘惑が襲ってくることを自覚すべきだろう。

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