いまこそ <健全な社会> へ ③
続き:
● 複雑化社会の罠と新自由主義
これらの一連の出来事は、直接的には一国レベルの社会制度の設計と統治の失敗として捉えうるとはいえ、その背景には、1980年以降、産業的生産様式の地球規模の拡大を通じて形成された「グローバルな複雑性」がある。
「グローバルな複雑性」の何が問題か。それを把握するために、まずは歴史学者J・A・タインターの研究を手引きとする。その古典的名著『複雑化社会の崩壊』(1988年)においてタインターは、人間の社会機構の進化を複雑性の増大過程の観点から分析している。その分析によると、人類は農耕社会から産業社会へと、各時代の生存問題に対応するために社会機構の複雑性を増大させてきたが、複雑化した社会はある一定の閾値を超えると、資源やインフラの維持など、複雑性を維持するための社会的費用が常に便益を上回るようになる転換点(ティッピング・ポイント)に達する。転換点を迎えた社会は、しばらくはその複雑性を増大させるが、やがて維持不可能になり、崩壊となっていく。
タインターの研究によれば、世界一の経済大国である米国は、20c.全般を通じて産業機構を高度に複雑化してきたが、その結果、教育・医療・特許部門における費用が常に期待される便益(専門家育成、平均寿命の伸び、特許獲得)を超えるようになった。また、自動車による移動距離は年々伸び、それに応じて石油消費量も増加し続けている。つまり、複雑性増大の限界収益逓減が生じている。
複雑化した社会がもたらす構造的問題は、タインターの指摘するような費用対便益に止まらない。その点については、社会思想家の I・イリイチの議論が示唆に富む。イリイチは、複雑化した教育制度・交通制度・医療制度が人間の身体感覚や想像力にもたらす象徴的効果に注目し、産業社会の逆生産性を論じている。学校、自動車交通、医療等の社会制度は、ある一定の閾値を超えて発展すると、当初の目的に反して人間の生活の質を低下させてしまう。1970年代の彼の一連の著作は、米国を中心とする先進産業社会が、当時、そのような逆生産性の段階に突入していたことを明らかにした。
経済のグローバル化は、こうした複雑化社会の逆説に直面した当時の先進産業社会がとった対案であった。産業的生産様式を地球規模で拡大することで、複雑化した社会機構の維持費用を発展途上国に肩代わりさせると同時に、費用のかかる公共サービスや社会保障制度に市場原理を導入し、民営化と規制緩和を進める戦略を採ったのだった。
ここに社会学者 S・ラッシュと J・アーリが言うところの「組織化された資本主義」から「脱組織化された資本主義」、すなわち福祉国家のもとで安定した成長を目指す資本主義から、流動的で不安定な資本主義への転換が起こった。かくして、産業社会を構成する複雑性は、一国レベルのものからグローバルなレベルと非連続的に転換するに至ったのである。
« いまこそ <健全な社会> へ ② | トップページ | いまこそ <健全な社会> へ ④ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ポストコロナ医療体制充実宣言 ①(2024.01.04)
- Report 2023 感染症根絶 ④(2023.11.30)
- Report 2023 感染症根絶 ③(2023.11.28)
- Report 2023 感染症根絶 ②(2023.11.24)
- Report 2023 感染症根絶 ①(2023.11.15)