ベーシックインカム(連帯経済としての) ⑥
続き:
連帯経済的社会運動とベーシックインカム
1960年代後半から70年代にかけて、北米や西欧では「保証所得 (Guaranteed Income)」という考え方が政策論議や社会運動の要求として広く語られていた。アメリカでは、キング牧師が1968年に暗殺される直前に要求していたのは、保証所得だった。この年、ポール・サミュエルソンやジェイムズ・トービンら1200人を超える経済学者たちが保証所得が実現可能で望ましいとする意見広告をだしている。ここでの保証所得とは、すべての人が権利として最低限の所得を保証されるべきだという考え方で、冒頭で定義したベーシックインカムを含むものの、それよりは広義の概念である。
この保証所得から、現在私たちがベーシックインカムとして知っているものがはっきり区別されて概念化されるようになるのは1970年代から80年代にかけてである。イギリスの要求者組合という、労働者階級の女性解放運動と福祉権運動の接点で活動していた団体は、1968年の結成以来、保証所得を要求していた。1972年には今日私たちがベーシックインカムとして知っているものとそれ以外とを区別し、前者こそ組合の要求としなくてはならないと論じるようになっていた。保証所得からベーシックインカムの同様の分岐が学問の世界でなされたのは、社会運動より10年ちかく後になってからだった。
ところで要求者組合は一義的には低所得者の福祉受給のための組の過半数は女性で、女性解放運動にも参加し、1977年にはベーシックインカムを全英女性解放運動全体の要求とすることにも成功している。性別役割分業のなかで、多くの女性が家庭内のケア労働を無償で行っていることと家庭外のケア労働の現場は女性が多く低賃金で劣悪な労働条件であることを、同じ問題のコインの両面として捉え、それらを変革していく実践のなかでベーシックインカムを要求したのである。
また、コンシャスネス・レイジング、住宅占拠、共同保育、コミュニティでの避妊教育、暴力からのシェルター、コミュニティ菜園、インフォショップなど、さまざまな活動に取り組んだ。このような連帯経済的な取り組みを行っていた運動の中で、ベーシックインカムという概念が生まれたことは興味深い(yamamori 2014)。
話を前節最後で触れた問いに戻すと、1970年代からの社会運動の連続性もあって、南欧の中心に、ベーシックインカムをより広義の保証所得の意味で使うことも多々あるというのが、その答えだ。それは現在学会で定着している定義からっすれば不正確ではあるが、同時に、社会運動の記憶の遺産でもあるだろう。
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