« 可視化されたベーシックインカムの可能性 ⑥ | トップページ | 可視化されたベーシックインカムの可能性 ⑧ »

2020年10月17日 (土)

可視化されたベーシックインカムの可能性 ⑦

続き:

「包摂の危機」

 第二次世界大戦後、先進諸国で形成された社会保障制度は、いわば常に全力で走り続ける経済からこぼれ落ちた場合の受け皿として制度設計されたものであった。それは職域によって分断的に管理され、大企業の労働者ほど手厚く、中小零細企業ほど貧相なものとなる。またそれは常に就労への復帰を促すものとして運用された。

 老齢年金では、アメリカでは「社会保障」(ソーシャル・セキュリティ)とそれに上積みされる「企業年金」(ペンション)がある。それぞれ日本の基礎年金と厚生年金に相当する。アメリカの支給額はどちらとも日本より高い水準であるが、ペンションが支給される割合は労働者全体の半数前後とみてよい。日本の厚生年金もほぼ同様だ。アメリカでも日本でも、年金制度ができた当初は、大多数の労働者を正規雇用に組み込み、職域での保険料支払いに基づくペンションや厚生年金レベルの給付が下位所得層にまで及ぶものと期待された。

 しかしこれは戦後の経済成長の終焉と長期停滞への移行に伴って実現しなかった。つまり、まともな賃金、まともな年金、さらにアメリカにおいてはまともな医療保障は、労働者の約半数を超えては広がらなかった。

 この問題をグレーバーは、『負債論』のなかで「包摂の危機」と表現し、次のように説明している。

 「1970年代のある時点において事態は分岐点に至った。ひとつのシステムとしての資本主義には、契約を万人に拡張することは不可能であることが端的に明らかになったのである。すべての労働者が自由な賃金労働者であることさえ、実現の見込みは薄いようにみえてきた。世界中のすべての人間に例えば1960年代のミシガン州やトリノの自動車労働者のような生活、つまり、家や駐車場を持ち子どもたちを大学に入れるような生活を与えることは確実に不可能であるだろう。そしてそのことは彼らの子息たちがもっと退屈ではない生活を要求しはじめるずっと以前からあきらかだったのである。この帰結については「包摂の危機」と呼ぶことができるかもしれない」

 今日、資本主義諸国は、北欧も含めおしなべて長期停滞のもとにある。単なる停滞であれば、北欧諸国のように所得再分配政策を機能させることで経済的生活水準を維持することはできるが、アメリカ、イギリス、日本のように、その下で経済格差が拡大すれば、大多数の労働者にとって十分な報酬を伴ったまともな雇用はもはや維持しえない。経済格差がますます拡大し、労働市場の底辺層は現役時代のみならず、老後においても必然的に取り残され、不安定な状況に置かれるのである。

« 可視化されたベーシックインカムの可能性 ⑥ | トップページ | 可視化されたベーシックインカムの可能性 ⑧ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事