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2020年12月16日 (水)

ジェネレーション・レフト宣言 ⑥

続き:

■ ジェネレーション・レフトと「出来事」

 だが、なぜ、ミレニアル世代やZ世代は、「保守化」ではなく、「左傾化」したのか。ミルバーンによれば、各世代が「出来事」をどう経験するかが、その分かれ目となる。

 「出来事」とは、要するに、突然、不意打ちでやってくる世界を揺るがす歴史的大事件のこと。「出来事」がもたらすショックは既存の秩序を不安定化させる。様々な社会集団は、自らの経験や共通感覚を手掛かりに、その「出来事」を解釈し、意味づけることで、秩序を何とか取り戻そうとする。ただし、これまでの経験が多くない若い世代は、ショックを前にして、新しい秩序を志向するようになる可能性がある。ここに左傾化の潜在性が存在するというわけ。

 「ジェネレーション・レフト」の左傾化には、二つの「出来事」が決定的な役割を果たしている。先述した、一つ目は2008年のリーマンショックである。金融危機によって、多くの人々は失業し、新自由主義によって削減された社会保障制度のもとで、苦しい生活を強いられることとなった。これは、不意打ちで大きなショックを与える「受動的出来事」として経験された。

 ところが、この「経済的」出来事は、もう一つ別の「政治的」出来事によって、保管されたのだ。それが、2011年の、ウォール街占拠運動やスペインの15M運動に代表される世界的な抗議活動である。

 たしかに、2011年の運動は、社会に、直接的な変化をもたらすという意味では、成功しなかった。ところが、若い世代は、この出来事を能動的・積極的なものとして経験。 自分たちのアクションによって、新自由主義は不可避ではないということを体感したのだ。つまり、占拠活動を通じて、集団的主体が形成されることで、自分たちで世界を作り出す力を確信するような「能動的出来事」として、第二の出来事は経験されたのである。その経験が、2014年以降の選挙における左派の躍進につながっていったと、ミルバーンは考える。その意味で、2011年「成功」だったとさえいえる。

 勿論、出来事が「受動的出来事」のままで終わってしまうこともある。その場合には、人々はどうにもならない現実を前にして、無力感に苛まれることになる。すると、彼らは、保守化していく。バブル崩壊とソ連崩壊という経済的出来事と政治的出来事を、新自由主義の勝利という形で経験した世代については、そのような事態が当てはまるのではないか。

 つまり、出来事という分岐点を前にして、若い世代が左傾化するか、保守化するかは、彼らがどのような社会的・政治的可能性を参照できるかにかかっている。そして、ここで重要なのは、この可能性を提示するのが、政治家や専門家である必要はないということだ。むしろ、議会政治だけに頼ることはない。

 なぜ議会政治だけでは不十分なのかといえば、議会政治においては、現実の様々な制度的制約に絶えず直面することで、妥協を図ることになってしまうからである。妥協的態度のせいで、政治的想像力は狭溢化していく。だからこそ、政策立案と制度変更を目指して議会政治だけに頼る「政治主義」は、危機を突破するような大きなビジョンを出すことができず、早々に行き詰ってしまう。

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