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2020年12月10日 (木)

現代の危機に~経済論争の復権~ ⑥

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競合的共存こそ現代経済学の発展の道

 ここで筆者(吉原)は、主流派経済学の学問的意義を否定しているわけでは全くない。筆者(吉原)自身、主流派経済学の分野でも長年研究活動をしてきたし、現在の勤務校での主な担当講義科目の一つはミクロ経済学だ。また、現代の主流派経済学の主要な潮流とさりつつある「データ・サイエンス」や、行動経済学やメカニズム・デザインといった新たなディシプリンの発展や研究の進展についても、これらが、「古い」経済学に取って代わる「新しい経済学」であるという主張には与しないが、本論で筆者(吉原)が重要性を強調している「経済システムに関する俯瞰的理論を提示ス役割としての経済理論」と完全に両立可能であり、相補発展的関係にあると見做している。

 今流行の「エビデンスに基づく政策提起」も、構造を経済モデルとして表現した上でデータ分析をし、エビデンスを収集する構造推定アプローチのように、そもそも経済理論を不要視するものではない。勿論、これまでは主流派の経済理論のみが、対象とする「構造」表現の経済モデルだったのであろうが、マルクス派や古典派、ポスト・ケインズ派などが開発してきた資本主義の基本原理の解明に関わる経済モデルもまた、エビデンスの収集の基礎となる「構造」の対象になりうるだろう。又、メカニズム・デザインの分野での実装可能な制度・政策の社会的エンジニアリングの研究成果やノウハウは、現状の資本制経済の下でのみならず、将来的に展望され得るポスト資本制社会においても有効な知見を含んでいる。

 そのうえで、現代の主流派経済学の主潮流には欠落している社会経済の分析視角があり、それらはマルクス派などの非主流派経済学から学ぶことができる旨を指摘したいのだ。

 「稀少資源の有効配分に関する合理的選択理論」として、経済学を定義する現代の主流派経済学の主潮流は、市場ないしは、より限定的な組織、企業、政府などの集団内での、いわゆる「合理的経済人」としての諸個人の(経済的)便益を追求する行動の相互関係という側面で、基本的に「社会」を捉える。しかし、経済的な相互関係的活動の在り方はしばしば、非対称的な力関係・権力関係の特殊な在り方を生成し、その関係性によって経済的活動の在り方も特殊に規定される。この構造に目配りし、結果としての人々の非対称的な階層構造の系統的生成が人々の「善き生」の追及においていかなる障害的要因となるのか、あるいは、そうした構造の歴史的な形成過程はいかなるものであったのか――マルクス経済学では、こうしたより広義な経済学的問いも中心的な考察対象である。

 例えば、職場等における「パワハラ」問題の存在は誰もが認識しているだろう。そもそも「パワハラ」という概念は、職場における雇用主、及び従業員間の力関係不均等であり、権力関係を帯びるという事実認識を前提にしている。しかし、雇用主――授業員関係はなぜ権力関係の性質を帯びるのだろうか。政治的民主主義を掲げる国民主権の国家体制下にあり、競争的な市場での自由契約を媒介とする職業選択の自由も保証された現代におけるそのような不均等関係は、我々の社会文化が今なお、前近代的であるからであろうか。

 主流派経済学では、雇用主―従業員関係は、労働市場における需要者と供給者の対等で自由な契約関係という視角で基本的に把握される。ただし現代ではその範疇を超えた研究が主潮流である。たとえば不完備契約理論では、雇用主―従業員関係を「依頼人―代理人関係」として捉え、両者の情報の非対称性に着目し、依頼人の依頼内容を、代理人のモラルハザードを誘発することなく実行させられるか否かが、研究の一焦点になっている。

 また、組織の経済学では、例えば、両者の取引関係に関わる資産の特殊固有性に起因する権威関係・垂直的な権限関係が論じられている。情報非対称的な「依頼人―代理人関係」は、一般的には必ずしも権力関係的性質を伴うものではない。また、関係特殊的取引による説明は競争的市場全体における権力関係の説明を与える一般理論としては不十分である。

 対してマルクス派の経済理論は、雇用主―従業員関係としての「依頼人―代理人関係」の背景には、資本家と労働者という階級構造が資本制経済システムの固有の性質として生成され、不均衡な権力関係として機能するという鳥瞰を提示する。その関係の再生産は、不均等な私的所有の構造とそれに起因してのマクロ的な資本蓄積経路の意思決定権が資本家階級に賦与される構造によって説明される。結果的に、政治的民主制下であって、かつ市場独占に起因する市場支配的な力の行使が不可能な完全競争的市場経済においてさえ、資本による労働の支配がいかにして生ずるか、という最も根源的な問いに挑戦し、その理論的解明を行うのである。

 筆者(吉原)がこの議論を持ち出したのは、マルクス派が現代の主流派に優越している事を言いたいがためではない。マルクス派の議論の多くは記述理論的アプローチで留まっている。現代の主流派経済学は、自らの既存の理論体系には有さない非主流派の記述理論的知見から学びつつ、それらを現代的な技法で数理的に解明ないしは統計的に検証するなどの作業を通じ、総じて現代経済学の人類的知見を豊かにしていくことに貢献できるであろう。実際、マルクスは「依頼人―代理人関係」のミクロ経済学の開拓者であったという評価もある。同時にまた、非主流派経済学者たちも、現代の主流派経済学の先端的研究成果や新たに開発された研究技法から学び、自らの学問体系の発展可能性を探究すべきであろう。

 日本の大学の国際的な比較優位を生かした「経済学教育の多様性アプローチ」を今後も発展・充実させて、主流派と非主流派との、このような相補発展的関係に触れる機会を学生や市民に与える事こそが求められているのである。

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