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2020年12月 5日 (土)

経済論争の復権~現代の危機に~ ②

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経済学教育の多様性はいかに失われたか <1>

 そもそも社会科学の一分野である経済学という学問は、多様な相異なる複数の経済学説の共存と学派間の相互競合的な発展関係を持つ。この特性を踏まえて、日本の経済学界も、戦後以来、近代経済学とマルクス経済学という二つの主要な学派が共存し、既存の資本制経済システムに関する俯瞰的理論の提示をめぐって、相互批判的に論争しあう関係にあり、それを反映して「多様なアプローチに基づく経済学教育」が行われてきた。

 実際、少なくとも筆者(吉原)が学部生生活を送っていた1980年代後半期には、日本のほとんどの大学の経済学部において、近代経済学とマルクス経済学それぞれの「経済原論」の講義があり、我々はそれらを通じて、両学派の論争的関係を多少とも学ぶ機会を享受できた。しかし、90年代初頭の東西冷戦体制の崩壊以降、「もはや資本主義だけが唯一の選択肢となった」という経済的自由主義の思想的立場からの主張がはびこり、そうした主潮流に対してマルクス経済学派は防戦に立たされる事になった。その時期から両者の論争関係も途絶えていったといえよう。

 もっとも、冷戦体制の崩壊によって、日本の大学の経済学教育の伝統である「多様なアプローチに基づく経済学教育」が疑問視されたわけではなかった。実際、後で論ずるように、現代的主流派経済学と、狭義のマルクス派のみならず、ポスト・ケインズ派、レギュラシオン学派、比較制度学派などを含む政治経済学の諸潮流とは、競合的のみならず相補発展的関係にあるからだ。

 しかしながら近年になって、経済学教育における現代的主流派のミクロ・マクロ経済学と、マルクス派に代表されるような政治経済学との共存的・相互補完的な関係は、解体化、もしくは形骸化される方向にある。一つの大きな動きは2013年秋の、日本学術会議経済学委員会・経済学分野の参照基準検討分科会による「経済学分野の参照基準(原案)」の提案であった。これは、従来の「多様なアプローチに基づく経済学教育」に関する検討や反省抜きに、「標準的アプローチ」による一元的な経済学教育を「参照基準」とする事を意図しての文書であった。

 「標準的アプローチ」とは、「希少な資源の有効な配分に関する合理的選択の理論」を「経済学の定義」とするアプローチであり、20 c. の英国の経済学者であるライオネル・ロビンズの主著『経済学の本質と意義』に起源を有する。

 この「経済学分野の参照基準(原案)」の採択に際しては、経済理論学会、比較経済体制学会、政治経済学・経済史学会、経済学史学会などの日本学術会議協力学術研究団体である経済学系諸学会からの強固な反対声明が上がった結果、最終的には大幅に修正されて採択。修正後の最終版では、(原案)で顕わであったロビンズ主義的な「経済学の定義」は撤回され、「標準的アプローチ」以外の諸潮流を排除する姿勢は大幅に緩和された。

 主流派経済学者の中にも、(原案)への批判的見解を持つ人たちは少なくなかった。また、筆者(吉原)は『経済セミナー』誌(2015年4・5月号)において、日本学術会議経済学委員会・経済学分野の参照基準検討分科会委員長であった岩本康志氏(東大経済学研究科教授)と、この問題を巡って対談を行なった。岩本氏と筆者(吉原)との基本的な経済学観や経済学教育をめぐる見解は最後まで平行線を辿り続けたが、その岩本氏でさえミクロ・マクロ経済学と統計学のみが経済学教育として必要十分であるとまでは主張しなかった。

 もう一つの大きな動きとして、2019/12/01、に日本経済新聞電子版『NIKKEI STYLE』に掲載された渡辺努・東大経済学部長のインタビュー記事「東大と京大、経済学部 100年 定年や給与・入試見直し」を挙げることができる。この記事における問題個所は現在ではすでに削除・改訂されていて、閲覧不可能になり、当初は次のようなやり取りが掲載されていた。

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