経済論争の復権~現代の危機に~ ①
𠮷原直毅(一橋大学経済研究所特任教授)さんの小論を載せる 「世界 10」からコピーペー:
はじめに
COVID-19のパンデミック問題が未だ収束しない2020年の夏、小林慶一郎・森川正之編『コロナ危機の経済学―――提言と分析』(日本経済新聞出版、2020年7月)を読む機会があった。本書は経産省管轄下の経済産業研究所の(RIETI)に関わる日本の経済学者たちによって執筆された、現時点での経済学的なコロナ対策の提言書としては最大規模のものであり、現代の主流派経済学のアプローチに基づく貴重な知的貢献と言えよう。低所得者層を救済する所得再分配機能を強化する負の所得税などの税制の提案や、50年後のアフター・コロナ社会に関するフィーチャー・デザイン実験の紹介、今回のコロナ危機によって、非正規労働者などのような、元々弱い立場の労働者たちがとりわけ困窮化している実態の、統計データ解析による実証研究など、興味深い研究成果が報告されている。
と同時に、本書は看過すべからざる弱点・限界も観察することができる。それは、本書に現在のパンデミック問題を深刻な社会問題化させた背景として批判されている、世界の政治経済システムの新自由主義化について、全く言及がない点である。この感染症問題は、人類にとっての新たなウィルスの近年における多発化という流れの中にある。経済開発の追及によって自然生態系の破壊が進み、これまでになく野生生物の生息領域に人類が踏み込むようになっているという問題、人と人との交流が世界レベルで煩繁化する経済グローバリゼーション、さらに、主要資本主義国で1980年代以降を新自由主義レジーム化の下、政府の公的活動が縮小される一環として保健所や公的病院の統廃合という動きなど、様々な要因がすでに広く指摘されている。しかしながら、本書に集う執筆者たちは、こうした論点に関して沈黙している。
この弱点とも関わって、アフター・コロナの社会経済のあり様に関する理論的展望なり規範的評価も、技術的革新の波に乗り遅れずに経済成長を目指すという、従来と同様の方針に留まった極めて貧弱なものだ。中川・西條論文のようなフィーチャー・デザイン実験に基づく知見の紹介や、ケインズの「わが孫たちの経済的可能性」に言及しつつ、ポストコロナ社会がこれまでの産業資本主義的な経済成長の時代ではなく、余暇選好的経済環境に変わる可能性についても目配り論文等一部の例外はあるにせよ、本書全体としての主要なメッセージは一貫して、「今回のコロナ危機を機会として生かし、遅れている日本社会のデジタル経済化を推し進めて、経済成長のバスに乗り遅れるなかれ」である。すでに主流派経済学以外の様々な社会科学の諸潮流において論じられている経済のデジタル化・AI化に伴う負の問題への言及も見られない。
こうした弱点は、本書の依拠する現代の主流派経済学に固有な特性ともいえるが、それが近年、特に深刻化しているという懸念を筆者(吉原)は抱いている。関連する背景として、現在の経済学教育が狭い意味での主流派経済学のみのプログラムへと純化しつつある事態がある。
それは、既存の資本制経済システムに関して全く相異なる基本認識を有するような、複数の競合し合う経済学説間の学問的切磋琢磨の場を、学生が体験する機会が無くなりつつあることを意味する。
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