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2020年12月 7日 (月)

現代の危機に~経済論争の復権~ ④

続き:

なぜ、経済学教育は主流派オンリーではダメなのか? <1>

 そもそも、80年代までの「近代経済学」と現在の「主流派経済学」とは同一ではない。後者は、ロビンズ主義的な「経済学の定義」がその主要な潮流となっている。即ち、既存の経済システムは所与としつつ、良心的な「慈悲深い統治者」の観点に立って、そのシステム下で生じる個々のミクロ的・マクロ的経済問題・諸現象の理解と解決・改善の処方箋の提示、すなわち稀少な経済的資源をいかに有効利用・配分すべきかについての社会的エンジニアリングの実装化に関心を寄せるアプローチである。

 80年代までの「近代経済学」はロビンズ主義的な経済学も中核として含んでいたが、ジョーン・ヒックスやポール・サミュエルソンなどに代表された時代の新古典派経済学は、60年代のケンブリッジ資本論争や70年代の欧米マルクス・ルネッサンスのように、ジョーン・ロビンソン、ピエロ・スラッファ、ルイジ・パシネッティ、森嶋通夫、置塩信雄などに代表される非新古典派的な分析的経済理論と、資本制経済に関する俯瞰的理論の在り方をめぐって論争を行ってもいた。日本でも、90年代において、新古典派の根岸隆と数量マルクス派の中谷武との間で、国際貿易の不当価交換論に関する論争が、日本経済学会の学会誌『The Japanese Economic Review』(Vol 50-2,1999)上で展開されもした。

 これらの論争の成果や知見は、相異なる経済学派間の相互批判的関係の近年における消滅動向の結果ゆえか、現在の主流派経済学界においては、「経済システムに関する俯瞰的理論を提示する役割としての経済理論」への認識が急速に希薄化しているように思える。その理由として、冷戦体制の崩壊を契機に、この種の論点の重要性が低下したからだと、今なお考えているとしたら、それは時代認識が大きくズレている。

 たとえば地球温暖化問題は、十数年前までは、将来世代の「負の遺産」という世代間衡平性の問題として現実化しつつある。ここ2~3年の日本の夏期における危険な程の猛暑日の連続と、大型台風の襲来などによる自然災害の頻発化は、この危機の現実化であるという見方も出てきている。この危機は、19c.の産業資本主義時代以来の経済成長を最優先的に追求する政治経済の仕組み(資本制システム)のままでは克服できないという見方も広がっている。

 また、80年代後半以降の世界の新自由主義化の下で進行してきた貧富の格差問題は、正当化不可能な水準にまで深刻化している。それらに対応して、欧米では既存の資本制経済システムを継続していくべきか否かが、現実の政治的争点になりつつある。例えば、米国におけるサンダース現象や、とりわけ若年層において「資本主義」の支持層を「社会主義」への支持数が凌駕する現象などがある。

 これらの政治的潮流に対して、90年代と同様のF・ハイエク『隷属への道』などに依拠しての「社会主義批判」は、今日ではもはや説得力を持たないであろう。欧米の社会科学者たちが提示する現代の社会主義論は、90年代の批判対象であった中央集権的計画経済システムとは全く異なるからだ。こうした時代背景の下にある現代なればこそ、「資本制経済とはいかなる原理的性質を有しているのか」「資本制経済の下で、そもそも人類文明の自然環境との持続可能的共存は保証できるのか」「資本制以外の代替的社会経済システムの可能性は」といったラディカルな問いが重要になっているのである。

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