« 人間と科学 第320回 今と似ていない時代(4)―① | トップページ | 人間と科学 第320回 今と似ていない時代(4)―③ »

2021年1月30日 (土)

人間と科学 第320回 今と似ていない時代(4)―②

続き:

 天文学と気候学を結びつける発想は、そのことだけでも天才的だったと言ってよい。だが当時の地質学はまだいろいろな面で未熟だった。クロールの説は地質学的な証拠に支持されることなく、19c.末までにはほとんど忘れ去られてしまった。

 ミランコビッチは、クロールが58歳のときに、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下で生まれた。そして30歳を過ぎた頃、異端ではあるが壮大なスケールを持つクロールの学説に魅了されていった。ミランコビッチがこの問題に本格的にのめり込んだのは、ヨーロッパに戦争の気配が色濃く漂いはじめた1912年頃のことだったらしい。

 クロールが「氷を育てる冬」に着目したのに対し、ミランコビッチは「氷を溶かす夏」こそがカギであると考えた。氷の成長速度は降る雪の量を上回ることがないのに対し、氷が溶けるスピードは、温度によっていくらでも早くなり得る。温暖な時代こそ例外であることを知っている現代の視点から見ると、この着想は深い意味で問題の正鵠を射ていた。

 ミランコビッチはそれから持ち前の数学の力を存分に発揮して、もし自分の説が正しいとするならば、どの時代のどの地方のどの季節に、どれだけの太陽エネルギーが降り注いでいた「はず」であるかを、ひたすら計算によって求めていった。

 現代を生きる私たちは、CT の助けを借りることで、ミランコビッチがしたのと同じ計算をほんの数秒のうちに終わらせることができる。だが当時、CT はまだこの世に登場していない。ミランコビッチは手回し計算機と紙とエンピツだけを頼りに、じつに30年もの時間をかけて、自分の理論を完成させていった。

 自分の説が正しいという地質学的な証拠はまだ見つかっておらず、心の支えになるのはただ直感と信念だけだったことを考えると、ミランコビッチが文字通り人生を投入して、これだけの計算を完遂したことは驚愕に値する。

« 人間と科学 第320回 今と似ていない時代(4)―① | トップページ | 人間と科学 第320回 今と似ていない時代(4)―③ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事