人間と科学 第321回 今と似ていない時代(5) ③
続き:
1945年にナチスが敗北した後、ミランコビッチはベオグラード大学の教授職に復帰する。そして13年後の1958年、脳卒中で突然この世を去った。人類がミランコビッチ学説の圧倒的な正しさを理解するためには、それから後の1976年、ヘイズ、インブリー、シャクルトンの3人による論文が発表されるまで待たなくてはならなかった。
この話には後日談がある。
1976年の論文が発表された後、主著者のヘイズはミランコビッチの深淵な先見性な感銘を受け、ミランコビッチが生前使っていた書斎を訪問して遺品を調べた。ヘイズはそこで、ミランコビッチの机の上にあった書類の束から一本の論文を見つけ出した。論文の著者はチェーザレ・エミリアーニ、当時シカゴ大学の研究助手だった。イタリア出身の地質学者だった。
ヘイズたちの論文は、ミランコビッチが存在を予言した気候変動の三つのリズムを「すべて」見つけ出したことで議論の決定打になった。それら三つの周期は、今では「ミランコビッチ・サイクル」と呼ばれている。一方エミリアーニは、そのうちの最も重要な一つ、氷河の消長を司る10万年サイクルを、1955年の段階で見つけ出していた。エミリアーニは自分の発見が、ともすれば嘲笑の的にもなっていたミランコビッチの学説にとって、重要な示唆を含んでいることに気付いた。
エミリアーニは自分の論文を当時すでに高齢だったミランコビッチのもとに送った。ミランコビッチから返事が来ることはなく、ミランコビッチは、それから3年後にこの世を去ってしまった。だが、ヘイズがミランコビッチの机から見つけたエミリアーニの論文には、ミランコビッチ自身による書き込みがあった。
ミランコビッチは、自分の説が古気候学をまったく別物に変える姿は見なかった。だが、若い頃に30年間も情熱を注ぎ続けた自分の研究が無駄ではなかっやことは、おそらく理解して亡くなったのである。
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