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2021年3月10日 (水)

人間と科学 第321回 今と似ていない時代(5) ②

続き:

 セルビアは南欧の小国である。戦いはいきなりベルグラードへの激しい爆撃から始まった。初日の爆撃で首都の中枢は破壊され、多くの市民が犠牲になった。幸いミランコビッチは難を逃れたが、爆撃がおさまった後で市内の様子を見に行ってみると、彼の本を印刷していた工場は爆撃によって破壊され、瓦礫の山になっていた。ミランコビッチはその時の光景が「墓場に見えた」と書くことで、当時の心境を辛うじて表現している。

 だが、ここでひとつの奇跡が起こる。じつは印刷が始まってから工場が破壊されるまでの4日間で、ほとんどのページは印刷が終わり、あとは製本を待つばかりになっていた。ミランコビッチが瓦礫をかき分けると、その刷り上がった紙の束が、印刷所の片隅で燃えることなく残っていたのである。

 印刷できなかった最後の数ページは、とくに重要ではないと判断された。市民生活は混乱をきわめていたに違いないが、ミランコビッチの本は無事に製本され、そのうち一冊は見本としてミランコビッチ本人の手元に届いた。ナチスがベオグラードの制圧に成功し、セルビアが降伏するのは、侵攻開始からわずか11日後の4月17日のことだった。

 ナチスがセルビア全土を制圧した後、ベオグラード大学教授だったミランコビッチは、ナチスに協力することを拒否して職場を放棄した。だがおよそ1か月後、ナチスの将校が二人、ミランコビッチの家にやってきた。あくまで想像だが、この時ミランコビッチは生命の危険を感じたのではないかと思う。だが来訪の目的は、協力を拒んだことに対する懲罰ではなかった。彼らは一通の手紙を持っていた。手紙の主は、ドイツのフライブルク大学の教授、ウォルフガング・ゾルゲルだった。ゾルゲルは戦前、論文を通してミランコビッチ学説の支持者になっていた。数少ない地質学者の一人だった。

 その手紙に何が綴られていたかは伝わっていない。ただ事実として、手紙を読んだミランコビッチは、自室から大ぶりの包みを取り出してきた。それは他でもない、戦乱の中でようやく一冊だけ自分のものになった、最後の数ページが欠けたあの「本」だった。ミランコビッチはそれを将校たちに渡し、ゾルゲルのもとに届けてくれるように頼んだ。

 開戦当時、ナチスは勢いに乗っていた。ミランコビッチはおそらく、自分の国あるいは自分自身が、戦争によって地上から消滅する可能性を考えただろう。その時、ドイツの地質学者が一人でもこの本を持って、その価値を理解してくれていたなら、自分の学説は消え去ることなくこの世に残る。ミランコビッチはその可能性に賭けたのである。

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