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2021年6月21日 (月)

人新世――新たな地質時代の科学と政治 ②

続き:

人新世の科学はいかに生まれたか

 「人新世」は、二つの異なる科学分野が生み出した。第一の、そして主要な分野が地質学であることは明らかだが、この用語を最初に生み出したのは、自らの研究結果が示す変動の大きさに危機感を覚えた地球システムの研究者たちだった。

 地球システム科学(ESS)は比較的新しい学問領域で、二酸化炭素の排出量やペリカンの繫殖習性といった個別の現象ではなく、地球システム全体のモデル化を志向する、近年の研究動向から生まれた。ESS では、人間の活動を含めた地球全体をひとつの統合された存在として理解する。つまり、地球システムはひとつであって、複数形の「システムズ」ではない、ということだ。

 こうした発想は以前からあった。科学者ティム・レントンは、その萌芽を、1960年代から70年代初頭にかけて科学者ジェイムズ・ラブロックが提唱したガイア仮説にあると見ている。ガイア仮説は一種の全体論的な視座で、地球上のあらゆるものや行為、現象が究極的に繋がっており、生命そのものが(環境を)強く制御していると考える。

 生命そのものが(過去5億年にわたって、大気の約 21 %を占める大気を提供している)、岩石の形成に関与し、菌類の作用を通じて化合物を分解するリサイクル業者にもなるなど、多くのはたらきをもっている。ガイア仮説は科学者たちが生物を、要素ごとにばらばらにして無機化学的プロセスと物理的作用から切り離してしまうのではなく、「生物地球化学システム」という概念で考えるきっかけとなった。人間もこのシステムの中に組み込まれており、その外側にいることはできないのだ。

 80 年代には、NASA の小グループが、相互関連する全体を指す言葉として「地球システム科学」という用語を造りだした。90 年代になると、コンピュータの力でこれまで以上に洗練された形で地球の複雑さをモデル化することが可能になった。「気候システム」のような限定的な概念から、ひとつの複雑な総体としての「地球システム」の探究へと移行していったことは、「共進化」と言ってよいほどコンピュータの進歩と密接にかかわっている。

 メキシコに集まった科学者たちはパウル・クルッツェンに触発され、斬新な有用な概念として「人新世」という言葉を、領域を超えて用いるようになった。しかしその多くは、化学者や物理学者、生態学者、海洋学者など、現在の世界を対象にする研究者であり、地球のディープタイムを対象とする地質学者たちはまだこの語に関わっていなかった。

 そののち、地質学者たちは、人新世という語があたかも標準的な地質時代の用語であるかのように普及していることに気づいた。しかしこの語は正式な地質年代尺度GTS)ではない。GTS は、45億 4000万年にわたる地球の変遷について慎重かつ官僚的に作成された、地質学に必要不可欠なツールである。GTS のおかげで地質学者は、ある岩石や化石がどの時代に生まれたものかを把握できるし、場所と時代を超えてその情報を伝えることが出来る。

 また、地球に起きた出来事の痕跡は一様ではない。地層のパターンには、その土地の火山活動や地震、地滑り、洪水、生命活動など様々な事象が記録されるが、それ以外のものは記録されない。地層はページが抜け落ちた本のようなもので、地域が異なれば異なる事象を示す。地域の歴史の多様性を離れ、総合的な地球の歴史を形作るために、GTSは非常に重要だ。

 GTSは軽はずみに変更されないよう頑健な手続きで守られている。新たな用語を提案しても、ますます力を増す複数の委員会を通過せねばならず、しかもすべての段階で過半数を大きく上回る賛成を得ないといけない。GTSが更新されるのはごくまれで、長期間にわたる厳しい承認プロセスによって正式採用されなかった提案は結構多い。しかし、「人新世」は、その正しさを多くの人が直感的に理解したため、2009年には人新世ワーキング・グループ (AWG) が発足し、協議を開始した。

 当時のことを、初代委員長のヤン・ザラシーウィッチはこう振り返る。「当初は、人新世は(他の時代区分との境が)曖昧模糊としたグラデーションになってしまい、地質時代として確立できないだろうと思っていました。しかし実際は、逆によりはっきり区分けされてきたのです」。実際、AWG は、人新世の正式提案に向けた作業を進めるか否かを決める投票結果を発表した。圧倒的多数(総投票の88%)が、人間の活動が地球システムを異なる軌道に向けて急速に変化させており、その痕跡が地殻に明確に刻まれているという見解に賛同した。地球はこれまでと異なる、人間やその他の生物にとってますます危険な惑星と化しているということだ。プレス・リリースによると人新世の「はじまりは20.世紀中盤とするのが最適である。これは人口増加や産業化、グローバリゼーションなどの「大加速」によって近年の地層にもたらされた一連の地質学的な間接指標と一致する」。要するに地球の歴史と人間の歴史とが交錯し、収斂してきたのである。2022年春にエビデンスを伴って正式提案される予定である。

 通常の手続きに従えば、次のステップは、地殻のどこに人新世の開始点(「境界」)があるかを示すいわゆる「ゴールデン・ポイント」、すなわちGSSP (国際標準模式層断面および地点)を確定させることだ。現在複数のチームが、決定的なエビデンスを得るための取り組みを進めている。

 皮肉なことに、人新世自体の性質が、人新世の正式提案を引き延ばしている。たとえば COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大を懸念してフィールド・ワークの計画が遅れていたり、2019年から20年にかけての暖冬で氷が薄くなったためにクロフォード湖(カナダ)の深部からコア・サンプルが抽出できなかったチームもあった。

 何よりコアの抽出や分析は高額だが、AWGには財政支援がなく、そのことも障害となってきた。しかしここに来て面白い展開が生じている。ベルント・M・シェーラーをトップとする、政府出資による文化研究機関「世界文化の家 (Haus der Kulturen der Welt)」が80 万ユーロという巨額の出資に同意したのである。人新世が人間と地球の歴史を一つにしたように、人新世の正式承認に向けた作業は、科学と文化双方の研究機関をひとつにしているのだ。

 

 

 

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