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2021年7月18日 (日)

ソーシャルメディア時代のメガ・イベント ③

続き:

■ 「約束された未来」の誘惑

 マスメディアとの密接な関わりのもとで企画・準備されるイベントは、どのようにして人びとを惹きつけてきたのだろうか。その魅力の源泉は、どこに見出されるのだろうか。まずなにより特徴的なことは、メディアが「凄いイベントがやってくる!」と宣伝すると、その暁には「素晴らしい感動が得られる」と読者・視聴者はごく自然に期待できることである。確かに、スポーツの国際試合をはじめこれまで開催されたメガイベントは、限られた特定のファンだけでなくより広範な国民層に楽しさと感動をもたらしてきた。

 その事実を思い起こせば、メガイベント開催に向けて素朴な期待が抱かれるのは、さして不思議でない。だが、少し冷静に考えれば、これから先の未来の時点で開催されるメガイベントに託して感動や熱狂をあたかも確約するかのようなメディアの語りには、どこか先物取引のような面が感じられる。つまり、現時点で確たる根拠や保証が実のところないにもかかわらず、それを「確かだ!」と断言し強弁することで人びとの関心と支持と取り付け、結果として観客たちに「素晴らしいイベント」を実感させる。そうした巧妙なロジックとトリックが、周到かつ徹底的にメディア化された現在のイベントの裏に見え隠れする。

 さらに近年では、巨額な資金を要するオリンピック開催をわずか 2週間あまりの一時的なお祭りに終わらすことがないように、大会後に遺産=レガシーを残すことが理念として謳われる。こうしてメガイベントは、開催に向けて人びとが期待し続け、実施中は熱狂の渦に巻き込まれ、開催後も末永く感動が遺産として残るような独特な経験の約束として、過去・現在・未来それぞれの時制を貫くかたちで人びとを包み込んでいく。そこへ誘われる<わたしたち>は、あたかもイベントが訪れるその日まで先物取引市場に投資するかのようにメディア・イベントに熱い眼差しを向け、あらかじめ元本保証された感動に身を委ね、その後は得られた利益を味わうかのごとく懐かしい思い出に浸る。まるでネットでの気楽な株取引に興じるかのように、メディアが仕掛けるイベントへの巧妙な誘いに戯れることが、今ではなかば無意識に当たり前の関わり方となっている。

 「東京2020大会」に向けて歩んできたこれまでの道のりを振り返ることで、述べてきたメガイベントとメディアの姿がより具体的に見えてくるだろう。例、大会観戦チケットのネット販売が 2019年春になされた際、若者をはじめ多くの人が獲得に夢中になった。そこでは必ずしも興味がある/応援している競技種目だけでなく、なんであれ「オリンピックのチケット」を我が物とすることが競われていたように思い起こされる。それはまさに先物取引としての感動を掛け金として、来るべき「東京2020大会」と積極的に関わり合おうとしてきた<わたしたち>の姿にほかならない。「フィールドキャスト」(大会ボランティア・大会組織委員会募集)と「シティキャスト」(都市ボランティア・東京都募集)として総計 11万人におよぶボランティアが募集された際にも、同様の光景が見られた。

 自らが当事者の一人として歴史的瞬間に立ち会うことを夢見て、多くの人びとがイベント成功に向けて自らの無償労働奉仕を約束することに夢中になった。その後、コロナ禍で 1年の延期となっていた東京大会の道行きが、2021年2月に発覚した「森喜朗会長による女性差別発言」を契機に混迷の度を深めていくと、多くのボランティアたちが辞退を申し出た。その様子を目にした与党有力議員は「すぐ辞めると瞬間的に言って」いると揶揄を込めて評したが、辞退を決意した当人からすれば、世論の支持を失いつつある「東京2020大会」への参画によって感動を得ることなどもはや期待できないと冷静に見限ったうえで、これ以上の投資から身を引く合理的な判断であったに違いない。

 

 

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