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2021年7月20日 (火)

ソーシャルメディア時代のメガ・イベント ⑤

続き:

■「幻滅」のはじまり

 多くの人びとの参加感に支えられるかたちで成り立つSNS時代のメガイベントには、独自の危うさが見て取れる。一方で日々自由に交わされるネットでのコミュニケーションは、ユーザーたちをイベントの中へとバブルのごとく包み込んでいくが、他方でさまざまな当事者が自ら発信することでそこに潜むいかがわしさが露呈するという危機も生み出す。近年、内部関係者によるネットでのツイートや告発を通して、表向きに喧伝される理念や目標とは大きく異なるイベントの裏の姿が暴露されることは珍しくない。

 対等な立場での発信を可能にするSNSという便利なツールは、きらびやかなイベントの提示を演出をより巧妙に操作されたかたちで可能にすると同時に、その背後に蠢く内幕や醜聞もさらけ出しもするのだ。その意味で、それまで楽しく愉快に夢中になっていた祝祭が、何かの事件や発信をキッカケとして不信感や疑念、さらに激しい憤りや反発を人びとのあいだに引き起こす危機へと瞬時に反転するのは、現在のメガイベントを特徴づける両義性の故である。

 こうした反転は、人びとが生きる現実とイベントが与える幻想とのギャップがあまりにも大きくなることで頻発するように思われる。もちろん、これまでイベント研究が指摘してきたように、メディア・イベントが広範に支持される理由のひとつは、それが厳しい日常とは異なる楽しい夢を与えてくれるからだ。どこかしら非日常や現実逃避を感じさせてくれることが、メディア・イベントの最大の魅力であることは言うまでもない。だが、そこで示される幻想と日々の現実との落差があまりにも大きくなった時、<わたしたち>はある種の幻滅を禁じ得ない。なぜなら自らが参画することを要請されるイベントの目指す先が、日々の生活とあまりにもかけ離れていたならば、それに夢中になって興じることは容易でないからだ。

 一年延期となって以降の「東京2020大会」の受け止められ方には、こうした一気の反転が鮮明に見て取れる。パンデミック以前に80%以上の国民から支持を誇っていたメガイベントへの風当たりは、長引くコロナ禍のもとできわめて厳しいものとなった。過っての「オリンピック推し」の世論は、瞬く間に萎んでしまったのだ。主催者側が公式の場所で繰り返し「安全で安心な大会」を目指すと訴えながらみ、ワクチン接種をはじめその実現に向けた諸施策が一向に具体化されない様子を目の当たりにして、開催への懐疑や反対がネット世論でにわかに高まった。そうしたSNSでの動静を後追いするかのように、やがて大手マスメディアの報道でも「大会中止」が大っぴらに語られる事態となったのである。こうした一連の劇的なまでの変転を後押ししていたのは、ソーシャルメディアとメガイベントとの緊密かつ両義的な関係にほかならない。

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