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2021年7月21日 (水)

ソーシャルメディア時代のメガ・イベント ⑥

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 この反転の動きに拍車をかけたのが、主催者側が示した是が非でも大会を敢行しようとする頑固なまでの姿勢と態度ではないだろうか。海外からの観客受け入れを断念し、競技会場での観戦について厳しい規制・制限が検討される中、これまで自らの参加感を根拠に「東京2020大会」を支持してきた人たちは大いに当惑しているに違いない。その理由は、あれほど謳われた「みんなで参加!」とのスローガンや理念が実のところ中身のないものだったことが露わになりつつあるからだ。

 かって招致活動で用いられた「復興五輪」という理念を具体化すべく 2021/03/25 、に福島から始まった聖火リレーは、無観客のもとでスタート式典が執行された。さらに聖火が各県へと引き継がれていく沿道では、コロナ感染症対策として一般市民の観戦が自粛・規制された。これまで「みんなの聖火リレー」をさんざん掲げておきながら、結局のところ大会主催者側の事情と都合で方針を独断的に変更し、それを一方的に押し行ける姿を前にして、多くの聖火ランナーが辞退を申し出たことも十分頷ける。

 これまで「東京2020大会」を推進する過程の要所要所で「みんなの参加」が呼びかけられてきたが、そこで実際に求められていたのはSNSを介して人びとに「参加してる」とのリアルな感覚を抱かせることに過ぎなかったのだ。期待されていたのは、各人が主体性を持って積極的に関わるというフラットで民主的な実践ではなかった。なんとしても開催に固執する主催者たちの本音が、世紀の祭典を「みんなで」盛り上げることでも、参加を通して意義あるレガシーを後世に残すことでもなく、IOCにとって最大の収入源であるテレビ放映権料を担う米大手放送局NBCとの契約を果たすという至上命令にもとづく方針にほかならないことが、今では誰の目にも明らかになりつつある。

 身も蓋もないオリンピック・ビジネスの現実を、開催を間近に控えた時点で見せつけられたことで、これまで曲がりなりにも自らが抱く参加感を糧に「東京2020大会」と戯れてきた人びとのあいだに、根深い幻滅感が広まっていったのは至極当然の成り行きであろう。いまだ出口の見えないコロナ禍のもとで日々を生きる大多数の人びとにとって、経済的にも精神的にもさまざまな辛さと苦難を強いられる日常と比較したとき、感染拡大の収束すら見通せない今の東京で「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として」メガイベントを強行しようとする為政者たちの臆面なき姿と、彼らが国民に向けて口約束する来るべき祝祭は、あまりに現実味と魅力を欠いている。あえて比喩的に言えば、たとえお義理にも「いいね!」を押す気になれない、お粗末すぎる代物なのである。

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