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2021年7月28日 (水)

コンピュータシステムがもたらした冤罪事件 ⑤

続き:

   コンピュータシステムとの闘い

 ホライズンは1999年に開発され、2000年から英国全土の郵便局で稼働していた。「まさか日常的に市民生活を支えているコンピュータシステムが間違った数字を出すはずがない」という思い込みが、今回の大量誤判を生み出した。こうした、テクノロジーが生み出す冤罪は、IT社会の今日、決して珍しいものではなくなっていくと考えられる。映画化されたフィリップ・ディック原作の短編小説『マイノリティ・リポート』(浅倉久志他訳、ハヤカワSF文庫1999年)の主人公は、犯罪予知システムの正確性を疑問視する。西暦2054年の未来が舞台となるこの物語の中心は、主人公を未来の殺人犯として手配するシステムのバグの謎解きだ。しかし、現実には全国を覆うような大規模なコンピュータシステムのエラーを素人が証明することは極めて難しい。

 では、元局長らはどのようにして自分たちの冤罪を晴らしていったのだろうか。その足跡を紹介したい。

 まず、2009年に元局長らを支援する「委託郵便局長の雪冤を求める団体(JFSA)」が結成され、20人ほどの元局長が参加した。このグループが徐々に大きな「原告団」へと発展していく。2011年に原告団は医療過誤訴訟などを手がけてきた法律事務所の協力を受けながら民間から寄付を募り、集団訴訟に持ち込んだ。

 また、2009年以降、コンピュータ・ウィーク誌がこの問題を報じ続けたため、2012年には議会でも事件が取り上げられた。そこで公社は会計システムの調査会社にホライズンに関する第三者評価を依頼した。調査会社は2013年に報告書を完成させ、場合によっては目的にかなった動作をせず、公社が行った初期の調査ではエラーの原因が見逃されていたと指摘した。だが、あろうことかこの報告書は公社によって隠蔽されてしまった。

 2014年にこの報告書がリークされた翌年、BBC放送のドキュメンタリー番組「パノラマ」がこの事件を取り上げた。

 この番組では3つの事実が明らかにされた。まず、郵便局長らが不正経理の責任を問われた記事裁判より前に、公社の技術部門は、法務部門に対してバグが原因で決済の不一致が生まれた可能性を伝えていた。次に、そうしたバグの影響の可能性が局長や弁護人に開示されていなかった。さらに、局長らは知らなかったが、システムが頻繫に遠隔操作されていた。番組でインタビューに応じた富士通サービスに当時勤務していた男性によれば、局長らに気づかれることなく、エンジニアたちがシステムのバックドアを使って遠隔で頻繫にアクセスし、会計記録を書き換えていたというのである。

 こうした各種報道を通じて、元局長らに対する冤罪疑惑が人々に知られるようになっていった。

 日本では想像し難いであろうが、本件には警察官や検察官は登場しない。英国には伝統的に私人にも特定の犯罪について起訴する権限を認めた「私人訴追制度」があり、ホライズン事件で公社はこの制度を利用した。公社自身が調査(捜査)を行い、検察官役の弁護士を雇って局長らを起訴、ホライズンのデータを詐欺や窃盗の証拠として裁判所に提出して有罪を認めさせたり、賠償と引き換えに起訴を取り下げたりした。そのため、本件では検察官が関与する余地はなかったのである。裁判所もコンピュータシステムが間違っているとは思わず、公社による起訴に理由があると考えた。事件を扱った裁判官や有罪判決を言い渡した陪審員たちも、自分たちが日頃利用している郵便局の窓口のシステムにまさか問題があるとは信じられなかったのだろう。

 英国には全国に検察庁が置かれ、日本の検察官にあたる「公訴官」が訴追決定を行なう制度が行き渡っており、私人訴追制度はさほど使われていない。だが、数的には僅かではあるものの、本件のように、企業による起訴が近年「ファッション」になっているとも言われている。実際、公訴官が不起訴にした事案を企業が私人訴追制度を利用して有罪に至るケースがいくつも報告されている。

 本件に関わった多くの元局長らからの再審申立てを認めて裁判所に付託決定をした刑事事件再審委員会は、2021年1月に特別に文書を発出して、私人訴追制度に何らかの改善が必要であり、誤判を防止する仕組みの導入を検討するよう促した。

 確かに、私人訴追制度について、次の点は早急な解決が必要と思われる。即ち、公訴官には起訴にあたって弁護人に対して事前に十分な証拠を開示する義務が負わされているが、私人訴追の場合にはそうした義務がない。こうした義務の不存在が本件においては、富士通サービスや公社側の持っていたシステムのバグやエラーに関する情報を弁護人に開示することを妨げる原因となっていた。

 公共事業であれ営利事業であれ、コンピュータシステムによって支払いや入出金管理が行なわれるのは日常的な光景であろう。そのようなシステムにエラーがあるにもかかわらず、ある日突然、管理者が不正経理の疑いを受けた場合、素人がそうした事件で反証することは絶望的であると思われる。ホライズン事件は日本においても決して人ごとではない。本件は、大規模なコンピュータシステムによって日々の経済活動が営まれている現代社会に警鐘を鳴らしているのである。

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