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2021年7月17日 (土)

ソーシャルメディア時代のメガ・イベント ②

続き:

■ メガイベントとメディアの相性の良さ

 歴史を振り返れば、大規模なイベントとマスメディアとはきわめて相性が良いことがわかる。不特定多数の人びとへの情報伝達を可能にした新聞・ラジオ・テレビといった近代メディアの登場によって、さまざまな催し物=イベントが新たに生まれた。イベント研究の古典とも言えるダニエル・ブーアスティン『幻影の時代』やダニエル・ダヤーン&エリユ・カッツ『メディア・イベント 歴史をつくるメディアセレモニー』が明らかにしたように、メディアが企画し、宣伝を繰り広げ、その内容をつぶさに解説・中継することではじめて、不特定多数の匿名化された大衆のあいだで関心を集めるような大規模イベントが姿を現すようになった。その意味で、メディアを抜きにして現代的なイベントの意義と魅力について考えることはできない。

 日常的な感覚に照らしても、各種スポーツ競技の国際大会であれ文化・芸術分野に関わる世界規模コンベンションであれ、テレビやネットを介した PR 活動や報道に触れることでその存在を知り、さらに興味や関心を喚起されるのが当たり前となっていっる。いわばメガイベントとメディアとはすでに一体化したものとして、ごく自然に受け止められる。現在、何かしらの形でメディアによる媒介を経ないようなイベントは、そもそも考えられないだろう。

 マスメディアとメガイベントの密接な関連は、ここしばらくのあいだ世間の注目を集め続けている「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」(以下「東京2020大会」)にも当てはまる。2013年9月のブエノスアイレスでの招致決定の瞬間はテレビ中継され、歓喜のあまり飛び上がって喜ぶ関係者たち(森喜朗招致委員会評議会議長・安倍晋三首相・猪瀬直樹東京都知事・竹田恒和JOC会長 全て当時)の姿が繰り返し放映された。その後、必ずしも平坦とは言えなかった準備段階で生じたさまざまなスキャンダルをメディアが事細かに報道したことで、人びとはいやがうえにも 2020年に世紀の祭典が東京にやって来ることを意識させられ続けてきた。そうした準備状況についての報道と並行して、東京大会で活躍が期待されるトップアスリートたちの姿が各種メディアでの映像・音声・写真・活字を通して、これまで連日のように伝えられてきた。

 大手新聞四社(読売・朝日・日経・毎日)が東京大会の「オフィシャルパートナー」に名を連ねていることが如実に語るように、来る「東京2020大会」を報じるマスメディアの基本姿勢は、少なくとも突然降りかかったコロナ禍により「1年の延期」が決定し、その後「安全で安心な大会」(延期決定時の安倍首相の言葉)に向けた道行きに暗雲が垂れ込めるまでは、きわめて支援・協力的なものであった。つまり、マスメディア各社は東京大会をめぐるさまざまな問題や矛盾を正面から取り上げることなく、もるで規定路線であるかのように「オリンピック推し」の姿勢を貫き通してきたのある。国内でのコロナ感染状況の悪化を受けて世論が「開催中止」へと傾きつつあるただ中でも、日々発行される新聞の第一面には「オリンピック/パラリンピックまで○○日」との文字が躍る。カウントダウンされていく数字は、現在のメガイベントとメディア企業とがどれほどまでに「運命共同体」であるかを雄弁に物語っている。

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