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2021年7月19日 (月)

ソーシャルメディア時代のメガ・イベント ④

続き:

■「参加してる」感のリアル

 森会長の発言への世論の反応からも明らかなように、現在のメガイベントと<わたしたち>との関係の特徴は、そこでSNSに代表されるソーシャルメディアが大きな役割を果たしている点である。従来のメディアとイベントとの関係では、テレビに代表されるマスメディアが視聴者や読者に向けて、ともすると上から一方的かつ権威的に情報提供するのが一般的であった。それと対照的に、現在のSNSを駆使した情報発信では、どちらかと言えばフラットで対等な関係のもとで自由かつ相互に情報がやり取りされている。ネット社会を生きる人びとは単なる受動的な受け手ではなく、主体的かつ積極的な発信者としてメガイベントに自ら参画している。つまり、従来のマス志向のもとで繰り広げられたメディア・イベントがどちらかと言えば「与えられ」るものだったのに対して、現在のソーシャルメディア時代のイベントでは、ネットユーザーが意見や感想を発言するかたちで「参加して」いる。各人がフォローやリツイートによって能動的にイベントと関わることで抱かれる参画意識こそが、現在のメガイベントがソーシャルメディアを介して盛り上げるうえで最大の要因にほかならない。

 そうしたイベントに参画しているという実感=参加感に巧みに訴えかけた事例として、大会組織委員会がNTTドコモなどとの協働のもとで実施した「都市鉱山から作る!みんなのプロジェクト」が挙げられる。ことあるごとに大会組織委員会が強調してきた「みんな」で取り組むオリンピック・パラリンピック関連事業おして、携帯電話など使用済みIT機器を一括回収しそこからリサイクルした貴金属を用いてメダルを鋳造するという参加型プロジェクトが試みられた。「東京2020大会」で勝者たちに授けられる各種メダルの製造に自らが関わるという感覚を参加者たちにもたらす「みんなのプロジェクトは、ただ単に与えられ/課される公式行事(セレモニー)ではなく、自分たちの手で作り上げ/盛り上げていく企画(プロジェクト)として東京大会を演出しようとする企てにほかならない。世界が注目する世紀のメガイベントを受け身で迎え入れるだけでなく、各人それぞれがひとりの当事者として自覚と自負をもって参画する。こうした参加意識を実感させる仕掛けが、今日的なメガイベント開催には不可欠なのである。

 森会長の問題発言へのメディアと世論の反応を参加感という点から捉え直してみると、ソーシャルメディア時代のメガイベントの実像が透けて見えてくる。正式な会議の場で女性を蔑視する発言をしたことを問題視された森会長と大会組織委員会は、即座に釈明のために記者会見の場を設けた。だが、リアルタイムでテレビ中継された会見の場で、記者からの質問に対しときに苛立たしげに応答する会長の姿からは、発言への反省や悔恨は驚くほどに感じられなかった。その様子はすぐにSNSで「逆ギレ会見」として話題になり、一気に「#森喜朗氏の退任を求めます」とのネット世論が広まっていった。

 こうした世論の盛り上がりが「東京2020大会」へのネガティブな意見や気分の広まりを背景としていたことは、2021年を迎えて以降の世論調査結果によれば半数を超える人が「大会再延期」や「中止」を支持していたことからも確認できる。だが皮肉なことに、これほど一気に/広範に/激しさをもって「反対森会長」の機運が高まった理由のひとつは、スキャンダル=女性差別発言が発覚した舞台がこれまで長きにわたり<わたしたち>を包み込んできた「東京2020大会」だったからではないだろうか。もしも同様の差別発言がほかの場や機会で語られていたら、これほどまでに国民の怒りと顰蹙を買うことはなかったのではないだろうか。勿論、森会長の発言は度し難く差別的であり弁解の余地は微塵もない。だが同時に、マスメディアとソーシャルメディアが互いに呼応するかのようなダイナミクスのもとで会長辞任へと急展開した不祥事の結末には、今では事の成り行きに<わたしたち>一人ひとりが参画意識をもって関わるのが当たり前とされるメガイベントとメディアとの密接な関係の一端を見る思いがする。

 

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