祝賀資本主義のグロテスクな象徴 ⑦
続き:
◉もっともグロテスクな祝賀資本主義の見本
ここまで祝賀資本主義の実に見事な見本である東京五輪について書いてきた。だが IOC 、組織委員会、電通によるメディア総翼賛成体制の構築も、世界的なコロナパンデミックの前では無力だった。はたしてこの先はどうなるのか。
2021/03/20、世界的なコロナパンデミックの影響を受け、ついに東京五輪の海外観客受け入れ中止が発表された。橋本聖子組織委員長は「全く新しい形の五輪になる」などと発表、国内観客の受け入れ割合についても 4月に発表するとした。
この発表はたいへんな意味をもっていた。この決断によって、誘致以来、政府がことあるごとに喧伝してきた「インバウンド効果」が完全に消えてしまったからだ。五輪による経済効果は数千億、数兆円などと言われてきたことは、多くの読者も記憶しているだろう。
だが新国立競技場建設等の建設関係の経済効果はすでに終わっており、あとは来日する海外観客がもたらすインバウンド効果に大きな期待がかけられていた。それがいきなり「ゼロ」になったのだから、その影響は経済的にも心理的にも甚大だ。
そのため、数百億円と言われる、海外で販売したチケットの払い戻し義務も生じた。だが4月になっても組織委員会は返金日程を発表しておらず、海外では組織委員会への不信と不満が渦巻いており、様々なメディアで取り上げ報じられている。
さらに、ことはカネの問題だけではすまない。五輪憲章にも記されている五輪開催の最大目的は、4年に1度世界中の人々が一堂に会し、友愛を育むことにあるからだ。
海外客が来ないということは、その機会も消えたということであるから、「おもてなし」というキャッチフレーズのもとに集められた 11万人以上のボランティアの活動目的も、その大半は失われたと言ってよい。
さまざまなレベルでの人的交流は、五輪の終了後にレガシーとなって、それが後々の経済的・精神的な効果にもつながると喧伝されてきたが、それも消え去ったわけだ。
以上のように、五輪開催の意義は経済的にも精神的にも失われたのであり、もはや開催する意味は完全に無くなった。つまり、いま現在政府や組織委員会がやろうとしているのは、「五輪のようなもの」であり、似て非なるものである。海外からの観客がいない中で行なわれる五輪は(最終的には無観客になる可能性)、世界各地で毎年行なわれている世界陸上や世界水泳などと同じで、特殊性も希少性もない、よくあるスポーツ大会と変わらない。
だが海外観客断念、国内観客さえ断念しても、アスリートと関係者を合わせて約 2万人の入国は確実だ。さらに、IOC関係者やスポーツ企業の招待者もやってくる。その数は 10万人を超えると言われており、そのような「五輪貴族」たちのために「五輪のようなもの」を開催するなど、愚の骨頂である。東京五輪は今すぐにでも中止すべきなのだ。
以上、東京五輪を通じて祝賀資本主義がどのように具現化されているのかについて考察してきた。ジュールズ・ボイコフが唱えた祝賀資本主義の構成要素は、いずれも完璧に東京五輪という商業イベントに当てはまるが、実はそれだけでない。電通というメディア支配装置を組み込むことで日本独特の「五輪翼賛プロパガンダ」をも形成し、過去最高のカネを集めて税金を使いまくってきた。これは五輪の歴史の中でも、もっともグロテスクな完成例として歴史に記録されるだろう。つまり祝賀資本主義は、今回の東京五輪で、さらなる愚劣な進化を遂げたのである。
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