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2021年8月19日 (木)

スマホとデジタル全体主義 ⑤

続き:

データ主義はいかなる未来をもたらすか

 以上のようなデジタル全体主義の動向に対して、いかなる対抗が可能か。

 例えば、マルクス・ガブリエルは「われわれはソフトウェア企業のためにデータを提供するという労働をしているのだから、それらの企業に賃金を支払わせましょうよ」と提案するのだが(ガブリエル+中島 2920:第2章)、残念ながらあまり有効な対応策だとは思われない。それはあくまで資本主義的な対抗戦略(労働への対価を支払わせる)にすぎない。現代人の多くが望んでいるのはそのような対価(個人情報をIT企業に提供するごとにお金が貰える?)ではないだろうし、たとえそれが実現したところでデジタル全体主義が緩和されるとも思われないからだ。他方で、ハラリが提唱するように、最新テクノロジーによって人間をアップデートし、「ホモ・デウス(神的人間)」へと進化させるというSF的なアイデアも俄かには受け入れがたい。それはデジタル全体主義に対抗するよりも、むしろそれを加速させるものとなるだろうからだ。

 これに対して、現在『人新生の「資本論」』の大ヒットで注目を集める齋藤幸平は、「未来への大分岐」にあたって、あくまでヒューマニズム(人間主義)にこだわるべきだという主張を行なっている。われわれは重要な決定を行なうにあたって、その判断をAIに委ねるべきではないし、「人間の終焉」というテーゼを易々と受け入れるべきでもない。(齋藤編 2019:第2部)。また、プラットフォーマーが無料のサービスと引き換えに、ユーザーの個人データを次々と吸い上げるデジタル資本主義の動きに対抗して、「自分のデータを渡す・渡さないと自分自身で決める『データ主権』を取り戻していく必要がある」。

 筆者(百木)も基本的にこのような齋藤の主張に賛成である。その一方で、スマホとインターネットの利用があまりに日常化し、その利便性が圧倒的に向上した現状において、「自分のデータを渡す・渡さないを自分自身で決める」というデータ主権の実現は相当に困難な目標であろうとも感じている(だからこそ資本への積極的な対抗運動が必要なのだと齋藤は言うだろうが)。たとえプラットフォーム企業に個人データを吸い上げられたとしても、スマホとインターネットを使い続けたいというユーザーは多いはずだ。

 ここで筆者(百木)が関心を引かれるじょは、スマホやインターネットなどのテクノロジーが、資本主義的にも共産主義的にもなりうるということである。勿論、今日それが大手IT企業の草刈り場になっていることは間違いない。その一方で、その技術が様々な知識や情報や作品を無償で共有するためのツールとなっていることも確かである。ポール・メイソンが情報テクノロジーの発展のうちにポスト資本主義の可能性を見出していることは示唆的だ(齋藤編 2019:第3部)。それゆえ、今後どのようなルールを課していくかによって、デジタル技術は資本主義的にも共産主義的にもなりうるはずだ。

 日々何気なくスマホに触れることで、われわれは「監視資本主義」と「デジタル全体主義」の両方の危機に接している。そしてこの二つを繋ぐ鍵としての「データ主義」の動向にも注目しておく必要がある。資本主義があくなき利潤を求めて自己増殖の運動を続けるように、データ主義はデータベースの増殖とアルゴリズムの強化を求め続ける。21c.には、資本主義と全体主義だけでなく、データ主義が人間文明にとっての新たな脅威となる可能性がある。それは資本主義的にも全体主義的にも染まりうるが、同時にどちらとも異なる危機を人類にもたらすかもしれない。

 ユーザーの側からすれば、個人データを多く提供すればするほど、安楽で効率的な生活を送ることができるため、その魅力に抗うことは容易ではない。たとえ個人情報を取られていると知らされても、それによって巨大企業が莫大な利益をあげていると知らされても、「それの何が悪いんですか?」で終わってしまうケースが多くなるだろう。そこで失われているのがどのような「自由」であるのか、われわれは思想的に考察してみる必要がある。スマホの画面の向こう側に見えるのは、どのような未来だろうか。

 

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