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2021年8月15日 (日)

スマホとデジタル全体主義 ①

百木 漠(関西大学法学部准教授)さんの小論文で、「世界 7」より コピーペー:

パフォーマティブな監視へ

 今日、われわれの行動はすべてスマートフォンとインターネットによって逐一記録されている。

 朝はスマホのアラームで目覚め、メールやLINEをチェックする。通勤電車の中でSNSやネットニュースを追いかけたり、音楽を聴いたりする。職場では常時インターネットに接続されたパソコンで仕事をし、メールやデータのやりとりをし、オンライン会議を行なう。帰宅後は家でYou TubeやNetflixなどで動画を楽しんだり、友人とオンライン飲み会で語り合ったりする。

 コロナ後の世界で一層、加速されたこうした生活様式は、言うまでもなく、デジタルテクノロジーの発達と密接に結びついている。ここで重要なのは、われわれの日々の行動が常にデジタルデータとして記録されているということだ。スマホの履歴データを見れば、われわれが何時に起きて何時に寝たか、どの時間帯によくスマホを触っていたのか、どういうサイトやアプリを閲覧していたのか、どのようなワードで検索をかけていたのか、誰とメールやLINEのやりとりをしていたのか、などの事柄が一目瞭然に分かる。GPS機能を使えば、どの時間にどこにいたのか、どのように移動し、どの場所にどれだけの時間滞在したのか、といった履歴も分かるだろう。

 現代ではこれらの行動履歴がビッグデータとして日々蓄積され、様々な方法で活用されている。そうしたデータを用いれば、その利用者が日々どのような生活を送り、どこに住んでいてどこで働いているのか、どういう人間関係を持っているのか、家族構成はどうか、などの予測を容易に立てることができる。GoogleやAmazonなどのプラットフォームビジネスが、検索履歴や購買履歴などのデータから利用者の嗜好性を分析し、こちらの欲望を先取りして、「あなたは次にこれが見たいでしょう」「あなたは次にこれが欲しいでしょう」と言わんばかりの提示をしてくることはよく知られているが、スマホに日々蓄積された行動履歴データを用いることができれば、より高い精度でもって、その人の行動パターンを分析し、それにもとづいて次の行動予測を立てることができるはずだ。

 Netflix製作のドキュメンタリー『監視資本主義』を見ると、SNSや携帯アプリを開発する「テック企業」たちがユーザーを少しでも長い時間「画面に釘づけ」にするために、あの手この手を使って興味を惹きつけ、スマホ中毒にさせようと試みるだけでなく、これまでのデータ履歴から各ユーザーの行動パターンを分析した次の行動を予測し、さらには各人の行動を操作(manipulate)しようと試みていることがよく分かる。『監視資本主義の時代(原題:The Age of Surveillance Capitallism)』著作したショシャナ・ズボフによれば、現代のネットビジネスが生み出しているのは「人間の未来を取引する市場」である。このドキュメンタリーではGAFAをはじめとする有名IT企業の元社員たちがその実態を次々と告白しているのだが、その証言によれば、テック企業の最終目標は、ユーザーの行動のすべてを監視し、予測し、さらにその行動のすべて思い通りに動かすことにある。そしてどうやらほとんどのユーザーはその狙いに抵抗しようとしていない。

 普段なにかと個人情報にうるさい人も、スマホを通じて自らの行動履歴データを蓄積し続けることについては特別に気を払わない場合が多いのではないか(もし気を払っていたら、スマホを使い続けることなどができないはずだ)。例えば、今日では多くの人が自らの写真をSNSにアップしたり、今何をしているかを投稿したりして、私生活情報を進んで公開する。特別な抵抗感なく、スマホに各種サイトの会員IDやパスワードやクレジットカード情報を登録し、さらに指紋や虹彩などの身体情報までも登録している人も多いはずだ(最新のスマホではこういった個人データの登録がほぼデフォルトになっているが、よく考えたらこれは結構恐ろしいことなのだ)。

 デイヴィッド・ライアンは、近著『監視文化の誕生』のなかで、現代の監視問題を考えるにあたっては、まずオーウェルの『1984年』を脇にどける必要がある、と述べている。つまり、強大な権力(ビッグブラザー)によってわれわれが監視されている、という従来の監視社会論や監視国家論では、もはや今日の監視問題の本質を捉えることはできない。それに代わってライアンは、人々が自ら進んで監視に身を晒すことによって形成される「監視文化「という概念を提唱する。デジタル技術を介して、現代人は日々「自分が監視されるデータを提供」しており、監視されることを避けようとするどころか、むしろそれを望んでいる。デジタルガジェットを通じて、われわれは「しばしば秘密裡にかつ強制的に行なわれている国家による監視や警察による監視を超えた、むしろ自発的で開放的、さらには参加型の監視という世界へ」と誘われる(ライアン 2019:136p.)。ライアンはこの変化を「パノプティコン(規律的な監視)からパフォーマティブな監視へ」とも表現している。現代人はスマホとインターネットを通じて、個人情報を自ら晒し出し、そのことをパフォーマティヴに享楽しているのだ。

 

 

 

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