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2021年8月 3日 (火)

祝賀資本主義のグロテスクな象徴 ⑤

続き:

◉ あらゆるメディアを抱き込む意味

 メディア委員会の主な構成者をみてみよう。(表:後)。――いずれも日本を代表するメディアばかりだ。そして、ここに名前のあるメディアは、会社の代表をおくりこんでいるから、どうしても五輪に対してネガティブなほうどうはしない。

 さらに、全国紙五紙(朝日、毎日、読売、日経、産経、)は、五輪スポンサーにまでなっている。つまり五輪の成功が共通の利益になっているのだから、真に批判的な記事が書けるはずがない。だが過去の五輪で報道機関がスポンサーになった例は存在せず、日本の特異性は際立っている。この「報道機関のスポンサー化」は「報道の死」を意味しており、五輪翼賛報道の諸悪の根源だ。メディア委員会に名前のない東京新聞や週刊文春などが五輪に対して厳しい報道をしてきたことから比較しても、その差は明らかだ。

 例えば、これら大手メディアは、東京五輪のもっとも基本的で重大な問題である、7月の酷暑開催の是非について、ほとんど問題提起をしてこなかった。

 熱中症警報が繰り返され、外出はするな、涼しい場所にいろと行政が注意喚起する時期に、屋外で長時間の行動や観覧を要する五輪開催は生命の危険すらあり、国民の生命と健康を守る方針を完全に矛盾している。

 だが、招致の段階で日本側はこの期間を「温暖で選手のパフォーマンスを発揮しやすい季節」などと噓をついて誘致してしまった。また、真夏の開催は放映権を持つ米NBCテレビの強い意向であるため、酷暑を問題にすることはタブー扱いだったのだ。

 ただ、もちろん、新聞社が酷暑問題を全く報道しなかったわけではない。2019年夏には、酷暑下での観戦には危険がともなうことや、組織委員会の様々な取り組み(その多くは効果なし)を報じたりもした。

 だが、そのほとんどは「暑さは危険」という当たり前の事実を報道、観戦者に自衛の必要性を説くだけだった、死者が出るほどの酷暑の下で、なぜ五輪を開催するのか、そんな危険な時期の五輪開催は避けるべきではないか、という根本問題について言及することは、慎重に避けられていた。

 たとえば朝日新聞は2019/08/10、の紙面で、「五輪の猛暑 観客も備えよう」というタイトルで、酷暑下の観戦自体に疑問を呈することなく、「一般の人も体作りを」という専門家の言葉を伝えて、真夏の開催を正当化している。読者に、開催についての疑念を抱かせるような報道はしないという鉄則を見事に守っていたのだ。酷暑問題以外でも、11万人以上のボランティアの無償労働や、際限のない開催費用の膨張をひはんすることも、ほとんど行なわれてこなかった。

 さらに、新聞社が書かない以上、クロスオーナーシップ(相互所有)で結ばれた民放テレビ局でも、五輪にとって本当に都合の悪い報道は、慎重に排除されてきた。

 そして長い間、新聞社やテレビ局にとって最大のNGワードとなっていたのが、「東京五輪中止」である。

 2021年に入り、様々な世論調査で五輪中止または再延期を求める声が7~8割に達しているのに、全国紙が中止を検討したり、要求するような記事を書いたりしたことは一度もない。中止という単語は「NYタイムズやワシントンポストのような、海外のメディアは中止すべきと言っている」という伝聞記事において登場するのみで、自社の記事には登場しないなだ。

 だがこのNGワードは、2021/04/15、五輪推進の立場に立つはずの自民党の二階幹事長が「もしどうしても無理なら、スパッと中止すべきだ」と発言したことにより解禁された。推進側の中心人物のおかげでタブーが破られ、全国紙もようやく五輪中止というワードを紙面に使えるようになったのだから、なんとも皮肉ではないか。

 

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