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2021年9月20日 (月)

パンデミックと大学 ⑤

続き:

  大学の「リ・デザイン」

 しかし、対面授業のない状況での学生たたの精神的な問題は厳然としてある。学生たちはスポーツその他の部活動、サークル活動、ボランティア活動、入学式、学位授与式、大学祭などによって多くの友人を得る。他者との交流には、人間としての多面的な学びがある。コロナ禍において、多くの大学教員が、それらを担っていた役割の大きさを痛感した。活動が制限されることで、精神的な健康、身体的な健康が損なわれるだけでなく、人間形成の機会を大幅に失う可能性がある。

 今後、各大学はその存在理由を問われる。極端なことを言えば、学位取得はすべてリモートで可能、となった時、地球上の様々な場所に立地しているそれぞれの大学は、いったい何のためにあるのか?

 それについて、総長を退職する直前の経験で、考えさせられた。郊外キャンパスの学生たちは、単位を取るためだけに大学に通い、急いで帰ってアルバイトに行き、というあわただしい生活を、リモートによって回避することができた。しかしそもそもそういう、授業を受けるためだけの大学生活は、大学の空間を活用していなかったことになる。郊外キャンパスは都心キャンパスに比べて広く伸びやかで、樹木の多い自然豊かな場所。さらに、海外を含めた諸方面から集まる学生たちは、異なる考えと異なる経験をもっていて、その異質な者との出会いや語り合いが、視野を格段と広くするはずだ。大学はそのことのもっている意味と価値を十分に認識して、交流の機会を作っていただいただろうか?

 むろん教職員が学生の交流を強制したり、過ごし方を指導するなどの介入はすべきでない。しかし空間を設計しなおすという方法で、今より活発な交流や議論の場ができるのではないかと気づいた教員たちが、建築設計を専門とする教員とともに、「リ・デザイン」という動きを始めた。教室空間で言えば、固定教具をなくすことや、教室の壁やドアなどを開放的なものにしていくことである。これはすでに小学校などでは始まっている。さらに、学生の日常の動線に「つい集ってしまう」空間を作り出すことである。バスから降りてそれぞれの学部棟に入って授業を受けて帰るだけでは、他学部の学生とも会わない可能性がある。そこで、学部棟とバスの間にある使われていないホールを活用することにした。

 具体的には、法政大学教授であり、数々の建築賞を受賞した建築家の小堀哲夫氏とともに、新たな空間作りに入っている。小堀氏はすでに梅光学園大学で、教室の壁やドアを可能な限り無くし、職員の固定席をつくらず、教員が通常は研究室に配置する本を学生たちが通る共通空間に並べるなどの試みで、学生同士、学生と教職員との関係が変わっていく試みを展開している。空間を変えることによって、大学とそれが立地する地域との関係も変わるという。

 近畿大学では、松岡正剛氏のプロデュースによって図書館を「アカデミックシアター」と呼ばれる空間に変えた。蔵書はそのままにして、開架は分野やジャンル(文字、ヴィジュアル、漫画など)を超えたテーマ別の配列とし、さらに地域の企業とものづくりの実験、交渉・打ち合わせをする空間を配置している。ここでも、学生の読書量が飛躍的に伸び、地域との関わりが深くなっている。

 つまり新しい学びは、二つの面からのアプローチが必要。ひとつはハイブリッド、ハイフレックスを利用して、感染、障がい、交通手段の困難、遠方居住、仕事との両立などの課題を抱えていても、自分の関心と能力に相応じい方法で熱意をもって学び続け、学位を取得できる仕組みにすること。これは大学の危機管理の面からも、必須。もうひとつは、学んでいるその大学の空間が常にその学生に対して開いていて、そこに行くことで様々な体験や交流や議論ができ、学びとその議論とを結びつけられることである。

 「学びて思わざれば則ち罔し、思ひて学ばざれば即ち殆し」という論語の言葉は学問の核心だが、個々が必要とする知識の獲得や学習はハイブリッドによってなされ、「思ひ」つまり情感をともなった思考は大学空間で深まる、という両輪を、これからの大学は多様な年齢の学生のために用意する必要がある。

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