パンデミックと大学 ⑥
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オンラインという「諸刃の剣」をどう使うか
吉見俊哉は『大学は何処へ 未来への設計』(2021年、岩波新書)で、重要な警告を発している。オンラインは「諸刃の剣」で、大学教育を高度化させるツールにもなるが、もし「経営合理化やコンテンツビジネスへの展開にのみ役立てていこうとする方針を大学側が採用すれば」授業の質向上より人件費削減と質の劣化に道を開き、「大学の自己否定にもつながりかねないのだ」と。その上でこの先の大学が、世界が共有する「学問的な問い」を立て、その存在を「国民社会から地球社会に移行」することができるなら、「地球社会を基盤とする大学」になり得る、と述べている。
従来、日本の大学がグローバル化を標榜する時は、大学の社会的な評判を高め、受験生を増やすという目的があった。考えてみれば、それは日本社会の内側のみで見た大学観で、今ほど深刻な状況ではなかったからこそ、そう考えた。しかしその発想を転換せずに大学のオンライン化に入っていけば、そこにはグローバル・ビジネスの世界に役立つ学生を、少ない教員を使ってオンラインで育てる大学、という姿が浮かび上がってくる。正に、諸刃の剣によって崩壊する道だ。
江戸時代の藩校や昌平黌が朱子学を基本にしている時に、私塾では古義学、古文辞学、陽明学、蘭学(ヨーロッパの学問)、医学、軍事科学、オランダ語、英語、フランス語などを学びながら、議論の力を鍛えることができた。それは私塾で学ぶことが社会的な成功や出世と無縁であり、藩や幕府からの補助金も受けていなかったからである。
本来私学は、国が行き詰っている時にその視界を超え、新たな領域を学ぶ場を造りだすことで、次の時代を作ってきたのだ。世界共通の課題を問いに立て、大学を議論の場所としていくことで社会の重要な知的インフラにするには、現在の大学設置基準や認証評価基準、そして何よりも入試の偏差値による大学の序列の固定観念が変わっていかねばならない。
総長や学長を努めると、コロナ下でなくとも、大学が抱える課題の多さを理解することになる。国公私立の学長が集まって自由に語り合う「天城学長会議」という場を日本IBMが作っていて、総長のあいだはその世話人を努めていた。元学長の立場のかたが講演にいらした時、「入試はなくさないとだめど」という話をされた。心の中では頷いても、こういう話は「元」学長だからこそできるのだろうと私(田中)は思った。
総長学長として「本学の入試をなくそう」と言ったらどうなるか。教職員の頭に浮かぶのは混乱状況である。可能性は二つ。入試希望者がほとんどいなくなるか、殺到するか、である。どちらにしてもお手上げだ。しかし先述した「通学制の学部を通信制に合体する」という事例を考えたとき起こることは、この「いわゆる入試」の撤廃と、授業料の値下げもしくは単位ごとの従量制への移行である。現在の固定観念で考えると、大学はやっていけなくなる。しかしそう言ってしまっては、地球社会を基盤としてどこにいても、どのような年齢でも、何回でも学べる大学などできるはずがない。
私たちが今後問われるのは、今までとは異なる可能性が見えてきたとき、そこに踏み切れるか、である。
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