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2021年9月22日 (水)

パンデミックと大学 ⑦

続き:

  新たな可能性に踏み出す

 そこで重要なるのが、たった一つの大学が命を賭けて踏み切ることではなく、社会全体が望ましいと思える方向を見定め、長期的なビジョンを立て、各大学がそれぞれ可能な速度で変わっていくことである。この状況を想像した時、私(田中)が総長の時に策定した「自由を生き抜く実践知」という、法政大学の大学憲章を思った。

 「実践知」とはギリシャ哲学由来の言葉で、望ましい理想的なビジョンを描き、そこまで一挙に行かれないとしても、今日自分が立っているその現場で、その方向に動くための実践を怠りなくおこない、その実践のなかで新たな知識を得てさらに思考を進め、実践を更新していくことだ。それをおこない得ることが「自由を生き抜く」道程なのである。自由を生き抜くとは、周囲に流されることでも損得を考えて忖度することでもない。かと言って、頑なに孤立することでもない。世界と社会の現状を理解した上で、理想を創造的に追求し、社会的責任を果たしていくことなのである。

 大学は「要請」を受けているだけでなく、国からわずか 9%程度ではあるが経常経費補助金を受け、様々な特別支援金を配分されている。それらの金額は、厳しい基準をクリアしなかった場合は削られたり配分されない。そのために教員も職員も仕事量が増えている。しかし要請にも支援にも受験者数の減少にも背を向ければ大学存続はできない。だが補助金目当てに唯々諾々と従っていれば原点と方向性を見失い、大学の研究と教育の自由は失われる。

 その現実を総長は日々、痛いほど感じているのだが、コロナ禍の経験で、その状況から少し距離を置くことができた。何故なら、「ポストコロナ」は来ないであろうこと、パンデミックは地球温暖化と人の流動化のもとで、繰り返されることが明白だからだ。現状の設置基準に合わせた大学では、この変化に即応できない。従ってこれからの大学、特に私立大学に必要なことは、日本私立大学連盟のような連合体によって将来ビジョンを明確にし、大学設置基準や認証評価団体の基準の変更を要請しながら、迅速な改革に取り組むことだ。

 大学が変わるために必要なのは、「時間」と「空間」の考え方を根本から見直すことである。前述した「ポストコロナ時代の大学のあり方」の中間報告では、例えば大学設置基準第三十二条の「卒業の要件は、大学に四年以上在籍し」の削除を提案している。この基準はかねてから留学に際しても問題になっていた。リカレント教育の進展も妨げかねない。第三十二条五にある、卒業要件に関わるオンライン授業による修得単位数 60 単位の上限も撤廃すべき、とした。それとともに、第二十一条から二十三条に定められている、授業時間の種類別時間数、週数の規定を削除し、これらを規定ではなく「ガイドライン」とする提案をしている。

 さらに、大学の校舎校地面積が学生の収容人数との関係で極めて詳細に決められていることを取り上げ、学生の実験・実習、対面授業、課外活動、交流などの充実のために、余裕のある空間を確保することは基準とすべきだが、それは面積等による一律の規定に従うことではなく、各大学の独自性に立脚したものであることが望ましい、とした。大学の空間は「量」的評価から「質」的評価へと転換すべきなのだ。しかしこれまでの基準では転換に対応できない。そこで、第三十四条の大学施設に関する基本的な考え方を除き、第三十五条から第三十八条までの、運動場、校舎等施設、校地面積、図書館の資料及び図書館に関する基準面積の削除を求めている。

 体育会系などの部活動や、サークル活動、ボランティア活動などの各種活動がいかに重要かは、すでに述べた通りである。しかし必要なことは、その大学空間が常に学生に対して開いていて、そこに行くことで様々な体験や交流や議論ができることである。これからの大学空間は、多様な年齢の学生のために用意する必要がある。社会人も、大学で職場以外の交流を持つ機会は貴重なものとなる。

 提案した大学設置基準改定がどこまで実現するかはわからないが、大学が自ら今後の姿を描き、教員たちが学生とともに新たな地平に踏み出すことが、何より大切だ。

 

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